Tokyo 2020年10月09日(金)
         
 
 学問や教育が国から経済的懐柔を受けたはじめたときから、国家からのコントロールに組み込まれているとみたほうがいいのではないで しょうか。公認されるのを歓迎したという意味では、過去の大戦中に、最初、三教(神道、仏教、キリスト教)合同政策において(たぶん 恣意的に)最初プロテスタント教会に声をかけませんでした。そこで、仲間はずれにされたとみて教会側が抗議。「そこまで言うのなら」 と仲間うちとして公認。そのときの教会は「長い暗黒時代が終わってようやく社会的地位を手に入れた」と喜び、意気揚々と戦時体制に組 み込まれていったのでした。
 日本ばかりでなく世界各地で、学問や教育の自由が、歴史の中でどのように阻害されてきたか見過ごされてはならないと思います。もと もと日本学術会議は、国家統制から学問の独立性を守るのをねらって創設されたとされています。 
 ところが、国家予算と国家公務員化の地位を付与され、報酬を得ていることにより、その構成員になるやいなや、とりわけ政府への批判 的精神が時間をかけて骨抜きにされるであろうことは、あまりにもあきらかなのではありませんか。
 それゆえに、日本国において学問の自由を本気で実現したいと願うなら、「認可を見送る、見送らない」という議論などより、日本学術 会議そのものを廃止するか、給料なしの手弁当制にすべきです。