Tokyo 2020年7月24日(金)
         
 
 「れいわ新選組」に議員候補として所属しておられた大西つねきさんの発言についての続き。
 親の介助に専念するために、子どもが自分の生き方を犠牲にしなければならない現実をふまえて、現実そのものをどうみるかという事と は別に、大西さんの「命の選別」発言にどんな問題があったのかあれこれ考えていました。
 つまり、高齢者のために若者が犠牲になるような社会が加速するのに歯止めをかけるのが政治の力であるというのが、「政治の仕事とし て、命の選別は不可避」という考え方につながると発言そのものの趣旨を、とりあえずは咀嚼しなければならないでしょう。
 命の尊厳という考え方に基づいて、命を国家が奪うのは死刑以外あってはならないとされているのです。
 わたしが山本太郎さんの発言などに共鳴できているのは、たとえば木村さんや船越さんを議員におしあげておられるところにある考え方 は、欧米社会で浸透しているノーマライゼーションの考え方と同一であり、つまり、「社会が弱い人を守るという考えではなく、すべての 人が非平温で幸福に暮らすための道筋には、社会のなかで最も弱い人々が快適に過ごせるような社会構築をめざさなければならないのであ り、それゆえに、インフラを整備するために有力な意見を求めるのはもちろんのこと、都市計画そのものが、最初から、社会的弱者にとっ て過ごしやすい空間をつくる設計になっていなければならない」というものでした。
 つまり、社会的弱者は守られる立場にある人ではなく、現在の社会を改善したり、将来のあるべき社会を設計するためになくてはならな い「社会のために生きていただいている人」だと考えるのです。
 わたしに、大西さんの意図が、完全に把握しきれていないのかもしれないという危惧を持ちつつ、それでも、「若者を守るために」とい う趣旨であっても肯定できないのは、たとえば高齢者や障害者の命を尊ばない社会は、どんな人をも尊ばない社会に変質するだろうという ところをあまりよく理解しておられないのではないかと思われるところです。
 「政治の力」が「命の尊厳に優劣をつける」ことをいったん許容してしまうと、次に惹起されるのは、ほんの小さな穴がこじ開けてダム の水が決壊するに至るように、いつのまにか大量虐殺をはじめてしまっていたというのが、これまでの世界史の実例とっして散見されるの ではないでしょうか。大西さんは、ご自分の考え方が「優生思想」ではないとおっしゃっていましたが、命に優劣をつけたとき、すでに優 生思想を名乗ろうが名乗るまいが、すでにそれは優生思想そのものと実に密接にリンクしているのだということをよく理解しておられない ようにお見受けしました。
 親や障害をもつ方の在宅介助をする子どもたちや近親者への支援こそ、もっと力を入れるべきでしょう。
 いったん、命の尊厳に「格差」を認めると、政治の力とは、そこにいくらでも誰を選別するか、そして、何の議論も言論も挟まれず、誰 を「殺すか」という行動に出るようになるのだと考えます。つまり、選別の基準は、成り行きのなかに飲み込まれ、きわめて不明確になる のは火を見るよりも明らかであるとわたしは考えます。
 麻生さんのように(高齢者が)「いったいいつまで生きようとするのかね」という発言がすでにされているのであり、今は「命の選別は 許されない」という立場で糾弾されるにせよ、「選別のルール化」つまり、「命を奪うのが政治的義務」だなどという政権になった途端、 「選別」の矛先は、日本にすむすべての人が対象とされるのです。
 大西発言とは、そのような深刻な“危険性”を孕んでいるのです。
 そして、この国の状態が、「コロナに倒れたのは自分の責任だ」という風潮にあふれていて、今でこそ「重傷化した患者を守るのが国の 務め」とされているのに変更が加えられない保障はないという世相にあり、命の選別をしないというだけではなく、ノーマライゼーション の基本に忠実な政治政党の構成員から出た発言だというところが肝心で、「すべての人に優生思想の根がある」とみたほうがいいとあらた めて再認識させられています。
 なぜ、そう考えるのか!
 すべての人が、命が創造主の業によって与えられている尊厳性を受け入れているわけではなく、ほとんどが、学校教育の生命観として、 進化論を受け入れ、淘汰の考え方として、強いものが弱いものを駆逐すべきだとか、社会が弱肉強食の原理で動いているかのような洗脳を 受けている故です。
 その意味からいえば、山本さんの考え方は、非常にキリスト教的人生観に近い。ただし、“近い”とか“似ている”といえるだけで、進 化論的生命観が排除されていないと考えられるので、山本さんは特別だとか、政府的に変質などするはずはないと断定できる保障など何も ないのです。 
 大西さんに「レクチャー」するとかいっていましたが、レクチャーで変わるほど人は善ではないし、それほど根が浅いとは思われないの です。
 これを機に「れいわ新撰組」への批判がみられるようになり、わたしも「れいわ」に期待しているもののひとりとして、ここは、すべて を将来にむけての「糧」とできるかどうか、山本さんの正念場なのでしょうね。