Tokyo 2020年7月18日(土)
         
 
 「れいわ新選組」に議員候補として所属しておられた大西つねきさんの発言が話題になっています。
こと、大西さんの発言について、これほどの話題になるのだとしたら、もし仮に、安倍政権の構成員で、たとえば麻生さんのような方に 「優生思想をどう思うか」など、(マスコミはそのような質問をするとは考えられませんが、)質問してみたら、大西騒動などでは済まな いのは必至。
 つまり、ひとつは大西さんの考え方が問題にされるのは、「れいわ新選組」という文脈だからなのであり、麻生さんがそのような考え方 を意図してかしないでかは別に、障害者や老人を軽視するような発言をしても、笑止千万のお笑いネタで済ませるであろうに違いないので す。

 あるとき、職場で(この発言者はすでに退職してもらったのですが)、同僚の高齢者の職人にむけて「死にそうなジジイ」と言い放った 人がいました。優生思想の社会の端部への波及効果とは、そのようなもので、あえて高齢者への敬意を排除させようとする傾向に結びつき ます。日常生活に忍び込む差別や命軽視の言動こそ、恐るべき社会現象なのです。
 優勢思想は、「姥捨て山」の考え方に通じています。命を神から与えられた最も尊ぶべきものだと考えないところでは、いつでも誰にで も生まれる考え方です。別にキリスト教だけが違うなどと言いたいのではありません。

 山本代表を礼賛するのは危険です。大西さんがご自分について、「命の選別を肯定したり、優生思想を抱いているわけではない」と自説を述べておられますが、「優生思想ではなくとも、優生思想の亜流などではない」と広く理解されるとは思われません。政治の力とは、もともと、仮に、命の最後が個人の決定権に委ねられていたとしても、“政治の力”に基づいていた場合、それが意味するのは、やがて決定権そののもが個人から国家によって剥奪され、命が国家によって恣意的に奪われるのを許してきたと歴史は示しているのですから。
 しかし、「釈明会見」のなかで、山本さんがもっている「資質」が、今の日本にとってどれだけ必要であるか思い知らされています。
 ひとつは、「優生思想は誰のなかにもありうる」という見識をしめしておられたこと、これが人類全体を破滅に陥れるかもしれない危険 な思想であるという認識。(そこまでの表現はなかったのですが、ともかく政治と優生思想が結びついた歴史を学んでおられると理解でき ました)。もう一つは、「処分をして切り捨てて、事を丸く収める」というところに安易な落とし所を求めず、たとえめんどうでも、事の 本質をみつめ、そこから何を学び取り、そこから、どのように「れいわ」の政治的方向性を見極めようか、つまり、禍転じて福となすため の努力を示しておられるところ、これまでの発言や行動からみて優れた一貫性をもっておられるのだと考えます。
 「優生思想」はすべての人の心を蝕む差別発生装置です。もともとはダーウイニズムが起爆剤となって政治的権力に取り込まれた代表格 が、ドイツのナチズムです。しかし、人種差別を生み出す思想がダーウインを母体にした優生思想だけだとみるのは正しくありません。
 旧約聖書の時代、イスラエルが神の許しのもとにあったとはいえ、カナン地方に住んでいた先住民たちを殲滅できたのは、今日のシオニ ズムに通じる「覇権思想」であり、イスラエル民族からみて、自分たちを「選民」ととらえ、それ以外の民族を「平定し殲滅されなければ ならない民族」と考える根は変化しているとはみられないのです。
 「優生思想」がオリジナルのキリスト教には存在しないというは正しいと考えます。使徒の働きに15章にみられるエルサレム会議は、 それまでみられた異邦人との差別を議論の末、撤廃したのであり、キリストによる救済の及ぶ範囲において、どんな「差別」をも設定され なかったからです。けれども「優生思想」がアメリカ社会のなかで生き延びていた遠因となっていたのが、ユダヤ社会の選民思想であり、 ノアの「カナン人」への預言をもとに、白人を優位とみていたからなのでした。優生思想とは、民族間に差異があり、動物的差異であると みて、進化が遅れているつまり、劣った民族と、より進化した、アプグレードした民族としてのアーリア人が存在しているという考え方な のでした。
 進化論が席巻してしまっている日本では、学校教育に「優生思想」の根があるのはいうを待ちません。
 つまり、公に組み込まれた「学校教育」を受けたというところで、すでに優生思想の汚染が入り込んでいるのです。
 
 優生思想と戦う困難がいかに深刻な根をもつのか承知しておかなければなりません。その上で、山本さんが代表である「れいわ新撰組」 が、たまたま、深刻な腐敗をもたららす思想の根にむきあい、そして、理想的なプロセスで、「大西さんの除名」を公表するをみたのは、 ベターな落とし所だったのではないかと考えます。
 学校教育を廃止したらなんとかなるとかいいたいのではありません。
 昭和天皇が生物学の研究に没頭している体裁をもったのは、進化思想を裏付けるための根拠を得たかったからとみるのは無理があるので しょうか。いえ、もう少し研究してみなければなんともいえませんが、少なくとも、優生思想が暗黙のうちに温存され、政治権力の座に影 響を与え続けているというのは、コロナ禍が見える汚染であったとしたら、「見えない思想汚染」が深く広く浸透しているという実態とむ きあい、「すべての人が差別なく人権をもち、人権に基づいた生活を営む権利をもつ」という趣旨をもつ、現行憲法の基本的なルールとし ての考え方を徹底して心に刻むこと。
 ものすごく難しい課題。・・・ですが、「れいわ」に突きつけられた根本的政治課題だと確認できたことが、れいわ新選組にとって「大 西禍」の災いを転じて福となす積極的な方向性になるのではないかと考えます。
 それにしても、それはすごく難しい・・・。 
 でも、絶対に乗り越えなければならないでしょう。