Tokyo 2020年5月5日(火)
         

神のなさることはすべて時にかなって美しい。 伝道者の書3章11節

 これは、部屋の壁に飾ってあるいくつかの「聖句板」のひとつ。
 結婚式の折、やがてTCUの学長の職に就かれることになる小林高徳兄からプレゼントされた「聖句」です。
 数年前、小林兄が米国で急死されたとの報に接し、いっとき「
神のなさることはすべて時にかなって美しい」の意味がわからなくなって、悶々とし ていました。

 この世界に、「これは神の業ではない」といえない事物が存在しないのだとしたら、神の業すべてについて「美しい」の だということになります。
 たとえば、いったい昨今のCOVID-19パンデミック渦を「美しい」となどと呼べるのでしょうか。
 しかも、その醜悪さがことことく神に起源をもつのだと言い張るなら、神にとっての「美しい」は、ときとして、人にとっての「醜悪」 も含まれているのではないかとか。聖書を信じていない人々からそうみられるのは避けられません。
 神の存在を認めなたくない人たちからすると、「美しさ」と「醜悪さ」をゴチャまぜにしたような事態をイメージするかもしれません。 そうであれば、聖書が示している神など、その他の諸宗教の神となにもかわらない。たとえば、幼児を人身御供にしていたバアル信仰のよ うに、憐れみと残酷に何の区別がないという、伝道者の書の記者コヘレトはそのようなことを言いたいのでしょうか。
 すべての事象の起源は神にある。そのすべてを「美しい」と確信できるわけはないのだとしたら、目の前に展開している事象がどれほ ど、人の目に醜いとみえても、「いつか必ず美しさ」を装わせてくださるに違いないという「見込み」ができるのかどうかなのでしょう。
 神の人への愛は、「憐れみと醜悪さ」の両方を無理にでも飲み込めといわれているのではなく、神が人への憐れみに富んでおられれると 信じていること。
 今は厳しい現実を我慢しなければならないとしても、主の心に信頼して、日々、耐え忍んで今できる最善のなすべきことをなせるなら、 必ず良い明日が来る。そのとき、主のみ業は「すべて美しい」といえるのだと考えます。
 主のご計画全部を見渡せないのであり、わたしたちの罪が生み出す傲慢さが、人を支配してしまわないように、「認識の限界」を決めて おられるのだと考えます。どれだけ遺伝子組み換えの技術が発展し、人を殺傷できるようなレベルの「殺人兵器」が生み出されたとして も、はじめから人のために造られたウイルスを「人にとって悪だけのために」存続させるとは思われないのです。
 まだ明確な情報となっていませんが、COVID-19について、これが遺伝子操作によってつりだされた「兵器」だとしても、 COVID-19そのものに「自己修復力」がみられ、変化を与えた部分を駆逐するような事象がみられるとされています。
 伝道者の書における「美しさ」は、ひたすら神の側からみた美しさではなく、人からみた「美しさ」を意味していると考えます。
 もともと、神はすべてを完成した美しさをもって創造され、美しさそのものを楽しまれ、そして人がそれを楽しめるように造られたので す。
 COVID-19について、今でこそ「醜悪さ」だけしか見えませんが、やがて収束した暁。たぶんかなり時間がたってから、どのよう な「美しさ」が生み出されるのか、・・・現時点でいうのは不謹慎とはいえ、“どのような美しさ”が生み出されるのか楽しみにしていま す。
 
 「時にかなった美しさ」とあります。神の業が人の目線でもあると理解すべきなのは、「時にかなった」とされているところ。聖書記者 はヘブル語圏であったとしたら、もともと“時間の概念”はヘブル語にはなく、主の業についてのはじまりと終わりだけが表現され。も し、未来について述べたい場合、ことは始まっているものの、まだ終わっていない事柄と表現されているのです。
 神は時間の創造主。人は時間に縛られます。それゆえに「美しさ」を認知できるのも「時間」の枠のなかです。
  わたしは、「これが神のみ業である」と認知できるような設(しつら)えと、人にとってほんとうに「美しい」と認知できるような未来を用意さ れているに違いないと信じているのです。
 信じるものにとって、死はすでに醜悪な出来事ではありません。
 死の時さえ「美しい」。
 そういえるのは、信じるすべての死の毒をキリストひとりが引きうけてくださり、「債務全部を帳消し」にして、すべての恐怖から完 全に解放してくださったためです。
 いつか小林兄と再会できる日「すべてときにかなって美しい」という聖句が現実のものとなると信じているのです。