Tokyo 2020年4月29日(木)
         

「森有正」との出会いのこと

 わたしは、中学時代に信仰告白。ただし、わたしが生まれる少し前に、母すでにキリストを告白していました。
  あの頃、北海道三笠市において、教会堂と呼べるのをもっていたのはカトリック教会だけであり、母はあまり明確な信仰に立っていたとも思われないにもかかわ らず、生まれてまもない幼児のわたしに、「幼児洗礼」を授けさせたとのこと。(続いて生まれた2人の弟たちも、カトリック幼児洗礼を 授けられたとのことでした。)
 母が召されたとき、葬式の会席の場で、叔父から三人兄弟は生まれすぐにカトリックの洗礼を授けさせてもらったと聞かさ れたのです。
 それは、わたしにとって耳新しいことではなく、わたしがホーリネス教会で「浸礼」を受けるまえ、母は「ハルトは洗礼を受けなくても いい」とポツリと語り、詳細について述べませんでした。
 葬式のときに、叔父のことばで、わたしがカトリックの幼児洗礼を受けていたことが裏付けられたかたちになりました。
 数年前、札幌に帰郷した折、弟たちと三笠のカトリックを訪ね、洗礼記録について調べてもらったところ見つかりませんでした。60年 も前のことでもあり、本部の札幌カトリックの記録にさえ残っていなかったとのことで、実態がなかったのか紛失したのか、詳細はいまだ に不明です。
 母がカトリックを離れプロテスタントメソジスト派の家庭集会に出席するようになり、数年後、洗礼を受けたのですが、
母がどのようなコンテキストで語ったのか 覚えていませんが、カトリックについて、厳しい言い方をしていました。
 どうやら、カトリック教会にみられるいくつかの伝統について「型に押し込められる」ような窮屈さや息苦しさを感じたもののよう です。
 わたしも母とともに、メソジストのなかでも、かなりホーリネス体験主義を打ち出した教会の「日曜学校」に出席するようになって いました。
 思い返すと、あの頃のわたしには、メソジストの体験主義に浸ることが必要だったのではないかと思います。
 なぜ必要だったかあれこれ思い出そうとしても思いつかない一方で、わたしは「深刻な二元論」に悩まされはじめていました。
 牧師の曰く、必要なのは“きよめ”であり、罪から離れ、聖潔を得なければならないと教えられ、教会に集った人々は聖なる空間を 共有し、自分にも聖性が付与されたことを感謝する。いえ、集う人々にとって、「喜び」「感謝」「キリスト告白」は約束された境地 のようでした。
 ある境地に達しなければならず、達していない状態を嘆き、「すばらしい体験」を語り始めるとき、ある種の開放感をもって「聖な る歌」を歌う。一方、「この世」は罪に染まった戦場であり、日曜礼拝とは、罪との戦いに疲れ、心を浄化するための時間とみなされ ていたのです。
 教会の中では「聖なるもの」になれても、一歩教会を出ると「俗まみれ」にならなければならかったわけで、わたしが少なくとも礼 拝のなかで神と呼んでいるおかたを、世俗のなかに見出すことはできませんでした。それどころか、罪に染まった「神なき世界」は、 主の再臨の光とともに滅ぼされるべきなのすが、そのくせ、「世を捨てよ」とも言われず、つまり、聖書的世界観とか人生観とかが まったく考察されず、信仰生活の裏付けとされていなかったため、心を浄化してもらうためだけに礼拝に参加するという、いってみれ ば、神社のお祓いと大差ない感覚さえ生まれていたのでした。「飲酒」の問題もあります。酒は汚れたものの典型。それゆえに、「酒の み」と呼べるほどでなかったにせよ酒を生活の一部としていた父は、何度か教会に足をむけるものの、「オレみたいな酒飲み、キリストさんもお断りだよね」 といって、表向きに教会に行かない理由としていたくらいでした。なにをあれ、聖書には“酒のみの問題”も書かれているわけです が、根本は酒のどうのではなく、やはり「神学的二元論」。宗教改革の時代からプロテスタント系にみられた「世と教会」という二元論についての課題だったので した。
 
 そんな経緯から、わたしは中学3年のころから高校時代にかけて、日曜礼拝に行かなくなり、“ついでに”教会もやめたい”と思っ ていた頃があったのです。
 聖俗二元論に基づいて人生を歩きつづけるのは辛く、ほぼ不可能だと思われたのです。
 それでも、“キリストから離れたい”とは思いませんでした。体はキリスト教会を拒否。しかし、心はキリストから離れられないと いう、そのような考えに引き止められたのは、バッハの音楽とドストエフスキー。
 バッハの音楽に引き寄せられるたびに、暗い部屋の窓からもれるひとすじの光のように、キリスト信仰への希望が掻き立てられる気 がしていました。
 それでも、決定的に二元論の枠を乗り越えるまでに至らず、やがて高校時代に、ドストエフスキーと出会うにいたり、キリストとと もにある人生を歩むことを心に受け入れたのでした。
 森有正氏の本に出会ったのは、神学校を卒業し、地域教会に赴任した頃でしたが、森有正の著作にみえた「バッハ」と「ドストエフ スキー」についてのエッセイに、わたしが10代のころに手向けたのと同じ心のベクトルがあるのを読み取れたのでした。
 森有正さんは哲学者としてすでに高名な方であり、全集もあり。
 すでに天に召された文字通りの「雲上人」。けれども、その内面において、わたしが少年時代に経験した、のと同じ、「求道者」であられたことに驚きと共感 を覚えたのでした。あたりまえですが、バッハとドストエフスキーがキリスト教信仰に必須だとかいえません。一度もバッハを聴いた ことないし、ドストエフスキーも1ページも読まなくても、信仰の入り口に立つことはできるでしょう。いえ、両方全く知らない人に天国は開かれています。
 しかし、わたしの場合、キリスト教から教えられる人生観を構築するための入り口に、バッハとドストエフスキーが位置づけられて いたのは明白なのでした。不遜な云い方であると承知の上ですが、わたしも「森有正」と同じ求道者の立ち位置に立たせていただいたので す。
 カルビニストたちとの出会いに伴い、メソジスト派を離れ、長老教会の会員になりました。そこで、やや遅れて「キリスト教的世界 観」を構築させていだく入り口に立たせていただいたのだと考えます。

 森有正全集を読んだ後、勝手に「有」の字を頂戴し、生まれた長男に「有光(ありみつ)」と命名。
 あくまで未熟な信仰のまま。
 しかし、懐かしくも「森有正狂」の時代でした。