Tokyo 2020年4月17日(金)
         

パンデミックの渦中にて 
 

 パンデミックが「虚構」だといいはる ネット情報があります。ところが、「これはニセの情報だ」と断定されているとしても、それでは何が真相なのかが示されていないた め、ひとまず信用するに足りないと判断します。このような時、ネットは玉石混交であり、有用な情報ソースになりえると同時に、は じめからすべてを疑わなければならないと考えます。

 事実に基づいて描かれつつも、フィクションであるという映画は多数。しかし、同時に、「事実の集積に基づく実証科学より、想像 力に基づいている小説や映画のほうがリアリティをもつ」こともありえるのでした。映画とニュースの違いを、もし、それが「事実か 事実でないか」と問うなら、ニュースがどこまで「事実性」をもつのか疑わなければならず、ニュースを全部信じていると現代社会そ のものについて現状判断や未来予測さえ誤りかねない時代なのです。
 それはNHKがとうのむかしに“公共放送”であることをやめ、アベ一族の広報機関に堕落していることをみても然り、さらには民 報がスポンサー企業の不利益になるような情報を隠蔽するに決まっているというのはすでに常識なのではないでしょうか。
 パソコンウイルスをつくっているのは、実は「ウイルス撃退ソフト」をつくる側の“専売特許”だったり、疾病へのウイルスワクチ ンをつくる製薬会社は、パンデミックの知らせを受けて仕事をしているとみせかけ、実は、ワクチン開発を済ませて「身内の防御」を 完全にかためたものから順番に放出・・・つまり利権にからんでウイルスをばらまいているのだといういわば、「カムフラージュされ た都市伝説」の類(たぐい)まであります。ウイルス撃退ソフトを製品化するためには、ハッキングできるほどの言語能力が必要で す。ソフトをつくる会社からすると、優秀なハッカーであれば“喉から手がでるくらいほしい”ということになります。

 富士フイルムのアビガンが、諸外国で臨床実験され、ドイツや米国でも薬効ありと判断され採用されはじめています。おそらくアビ ガン開発は、当初は広く抗ウイルス性をねらったものであったとしても、最初からCOVID-19撃退を想定した薬ではなかったで しょう。
 それでもかなり重篤な状態に至った患者たちを救い始め、催奇性や不妊症のトリガーとなるかもしれないというリスクにもかかわら ず、ワクチンが登場するまでの“つなぎ”もしくは“切り札”として、COVID-19克服にむけて世界各国で有力視されると 思われます。

 「事実は小説より奇」といわれます。事実は小説家の想像の及ばない事態を引き起こされるという意味でしょう。
 おそらく聖書を「小説」と同じレベルの人の想像力によって生み出されたフィクションだと決めつける人からみれば、聖書を「荒唐 無稽」と揶揄する域を出ることがかできず、世界常識や一般的教訓を引き出せないのは当然だとしても、まして聖書は自分自身を写し 出す鏡である(Jカルビン)という域に達するのは遥かに遠いのです。
 ピアース・プロズナン主演「ダンテスピーク」という火山噴火のパニック映画で、ダンテスピーク噴火の危機を知らさせる火山学者 の警告にたいして、多くの市民たちが「荒唐無稽」という決めつけてあざ笑うというシーンが描写されています。「聖書は一番くだら ない本だ」と決めつけるのもダンテスピークの麓の住民たちの立ち位置とかなり似ていると思います。
 なお、わたしはニコラス・ケイジ主演「レフト・ビハインド」を生み出した背景にある米国由来の特殊な終末論には立っていませ ん。念の為。

 幼少の頃から聖書に親しんできたわたしのような一塊の信徒は、未熟な頃、聖書なんか荒唐無稽だと決めつけたり、作り話だとしか 考えられなかったりしていたところがあっても、あの頃はただ深入りしないように避けていたというより、もっと積極的で、当時日本 語訳としても流行していた聖書批評学にわずかの魅力も感じなかったというのが正直なところでした。
 痴がましく歳を重ねるとともに、いわば景色が山の低いところから見てていなくても、高所に立つとそれまで見えていなかった地平 が見えるようになるのにも似て、「ぜんぶ、聖書に書いてあるとおり」(母の遺言)といえるに近づきつつあるのでした。
 内村鑑三が小説を嫌ったのは、それが人の空想や想像に基づくもので、聖書のもつリアリティに反していると考え方からなのでしょ うけれど、「聖書を小説と同列におく」べきだという当時ドイツで流行していた「聖書の高等批評学」への抵抗があったのでしょう。
 ところが、内村鑑三の「小説文学」への反発の闇は、おそらくやや複雑で、内村自身のなかにも「パウロ書簡」と「4福音書」のあ いだに優劣を見ようとする知性の分断があり、つまり、「神のことば」であると同時に「人がつくった文書」が・・・少なくと も・・・紛れ込んでいるかもしれないという判断基準の揺れがあったのではないかとみられます。
 ・・・。はなしがまどろっこしくなりましたが、パンデミックを描いた日本映画といえば、たとえば「感染列島」とか、「復活の 日」。想像力に基づいたフィクションであったとしても、(細部の差異は否めないとしても)あたかも予言の能力が備わっているよう にいまの現実を描いているとみえます。
 聖書のなかに、現在引き起こされているCOVID-19禍のことが記されているとみる人々がいます。
 現実におこっていることを、聖書のなかに「意味づけ」を探そうとするとほとんどが挫折するに違いありません。現実を理解で きる程度の能力(読解力)だけで、「聖書」を理解できるとは思わないほうが良いと思います。
 聖書を紐解く先に、傲慢な心から開放されていなければなりません。

 小説だけで現実を解釈するのは不可能ですが、現実をみるためのヒントが溢れています。
 緊急事態宣言が出されて、在宅が多く「転がり込んでいるたくさんの時間」を、これまで視ることができなかった映画とか、読み過 ごしていた本の読書にあてています。

 「カルビンのキリスト教綱要」の改訂版を入手して、再読をはじめています。全巻再読はこれで四回目。
 訳者の渡辺信夫先生がご高齢により天に召されたとのこと。すばらしいお仕事を残してくださいました。
 「聖書かカルビンか」とかいう二元論のたてかたをきくことがあり、それがきわめて幼稚な云いだということは誰にでもわかりま す。
 カルビンの綱要を全く読んでいないか、おそらく最初の数ページをめくっただけで読んだつもりになっているのだとすぐにバレてし まうのです。「わたしの本を読め、そうしたら聖書など読まなくていい」となど、カルビンは一言も書いていないからです。
 それでも、周囲から「キリストは邪教だ」と「カルビンは毒だとか」決めつけていたとしたら、入口に近づくことさえできないで しょうね。
 とても残念なことです。