Tokyo 3月24日(火)
         

   
 危険予知(KY) 


 そのまま読んで「キケンヨチ」。その頭文字をとって、KY(ケーワイ)活動。
 「朝礼(ちょうれい)」ともいわれます。
 KY活動により、工事現場などで、どこでどのような危険が予想されるか。そして、どうしたらおこりうる事故を未然に防ぐことができ るかについて、KY活動とは、職人たちが主に監督などから指示を受ける非常に大切な時間です。
 事故やときには死亡事故さえありえる危険な工事現場で、とくに、大きな工事などをおこなう場合、KYにかける時間も増え、またその 質も多岐にわたるようになります。
 当然といえば当然。
 命を守るために、危険を予知した行動をとるのはあたりまえだからです。
 ところが、COVID19をめぐって、現行政府が実施していることは、「危険予知」とは似て非なるものです。
 あらかじめ、どのような危険が潜んでいるかイメージをつくりあげて、リスクの少ない行動指針を示すのが危険予知。アベ政権が示しているのはキケンヨチであり、自分たちの立場や地位に火の粉がかかってくるのを防ぐため、もしくは、国民のためを装ってさらなる独裁体制の実現をもくろんでいるだけです。
 すべての国民の生活がコロナウイルスによる死の危機に瀕していて、収入がなくなり、家賃を払ったら明日食べることができなくなるよ うな家庭が爆発的に増えているのがわかっているのであれば、すぐに対策を実施するべき。しかし、国民ファーストの行動でないため、そこに見えるのは自分たちを守るためのキケンヨチでしかないのです。ほんとうに国民のための危険予知がわかっているなら、消費税をただちに撤廃するとか、すぐに返済不要なまとまったお金を配るとか。やればでききるのに、どうしてすぐにできないのかわたしには理解できません。
 おそらく、「子どもたちが学校に行かないと困る」といわれたからとか“学力低下をなんとかしろ”とかどやされて、しぶしぶ学校再開 を言い出したのでしょう。もし、今の段階で学校再開などしたら、集団感染の危険度が高まり、ようやく水際で防ぐことができていたとこ ろにさえ感染が広がるかもしれないとは考えなかったのでしょうか。子どもたちや学校が、今回文科省が出した指針に従ってさえいれば「ウイルスだって逃げていくさぁハハハ」、とでも言いたいのでしょうか。
 「騒ぎすぎだ。感染は“そのうちおさまるだろう”」ではなく、「健全に恐れるべきだ。感染が広がる“かもしれない”」と考えるべき です。

(1)オリンピックは、一日でもはやく「中止」と宣言すべきであると考えます。
 どうするか決断のために「3〜4週間」をつかうなどあまりに危機感がなさすぎるというか、人命をなんと思っているのでしょう。
 いったいそれで、どれくらい人が死ぬか、事態が深刻化するとみえていないのでしょう。
 福島の放射能被害が広がったとき、正確な情報が広く共有されず、政治家や官僚など“身内”が優先され、“身内以外”にはあえて 知らされませんでした。それと同じことが、今回もみられるといっても、言い過ぎとは思われないのです。
 現在、イタリアでは、COVID19による一日あたりの死亡者数が千人に近づこうとしています。
 おそらく、米国の実態はネット情報などよりはるかに深刻になっているでしょう。もしかしたら、日本人はイタリア人よりウイルス への“耐性”をもっているなど、何の根拠もなく考えているからなのでしょうか。

(2) 中国や欧米の事例が示すように、もし、ほんとうにCOVID19の潜在的な危険性を承知しているのであれば、 ただちに人々の行動を制限する「都市閉鎖」をすべきです。
 たとえば、橋が崩壊しそうになっているのを確認できているのに、それでも通行止めにせずあいかわらず車や人を通しているのと同じ です。大事故がおこるまえに道路封鎖すべきと考えるのは当然です。橋の修復工事や道路封鎖のための口実を得るためとか、膨大な予算を得るために、あえて、大事故が引き起こされるように仕組むな どありえないでしょう。たとえば、火事が周囲に広がろうとうするとき、引火して燃え広がるのを防ぐために、となりの建物を壊さなけれ ばならないなど「破壊消防」が必要なとき、「私物である建物を壊していいかどうか法的手続きを判断するための時間をとる」などという消防士がいったいどこにいるで しょうか。 

 危険予知に基づいておこなう行動のために、「時間の余地」など一秒たりともないはずです。
 東京や大阪など巨大都市からはじめて、移動制限という意味の都市封鎖や、生活保障という意味の無条件の財政出動をただちにおこなう べきだと考えます。
 指導者が、まず自分と家族のための逃げ道を確保した後でその他の人々に危険を知らせるとかバタバタ人が死ぬような事態をみなければ行 動できないというのは、「危険予知の常識」に反します。