Tokyo 3月14日(土)
         
     

 中止にする時期が遅れることによる損失。つまり、「中止や延期など絶対にない」という政治的な意図がまかりとおっているため に、実態を正確に把握せず、感染者数や死亡者にさえ、「オリンピック開催」のフィルターをかけて、実態がを過小評価す るようにしむけられるとしたら、次にいったい何がおこるのか誰にでも明白なのです。
 もし、早期に判断され行動できていたら助けられたはずの命が助けられなくなります。
 さらには、感染しているのに無自覚で、しかも症状がみえない人が、周囲にたいして感染源となっているのに気が付かないという恐ろしい事態を各地で進行させることになるのでした。
  すでに、トランプ大統領も、「東京オリンピック延期」にふれ、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハさんも 「WHOの意見に従う」と語り、そしてオリンピアでの「聖火リレー」も中止となったにおよび、すでに“火は外堀を超え、本丸に近 づいている”とみえます。
とにかく今となっては中止宣言が早ければ早いほど良い。しかし反対に、中止を延期すればするほど、事態が改善にむかうどころか、 感染者や死者を増やす最悪のシナリオになります。
 
 キリスト教界で、日曜礼拝やミサに集うことを「中止しない」ことをもって信仰のあかしだといわれるのですが、「神がついている のなら感染もしないし、害を及ぼすような事態には決してならない」と考えてはいないのだとしても、もし、これほどの事態になって も礼拝に集うことを中止しないとすると“キリスト教会は、普段は皆のため民のためだと言っているが、本音のところでは、教会のた め、身内の栄光のことだけを考えて行動しているのではないか”というみかたが広がるのは必至です。
 「なんだ結局、皆様の福音とかなんとかいっているが、考えていることや、やっていることは自分たちのことだけだ」となります。
 
  主が十字架にかけられた日、それをみていた祭司長や律法学者たちが、「あいつは他人を救ったが、自分は救えない。偉そうにイスラエルの王様だとかなんとか いってたが、それならたった今、十字架 から降りきてもらおうじゃないか。もし降りれるもんなら、信じてやってもいい」と嘲りました。
 コロナウイルスによるパンデミックのため礼拝に集うのを中止し、ネット礼拝している地域教会は、最善とは何かを考え抜いた後、 集わないことに決めたのでしょう。「あいらは、いつもは隣人愛などとぬかすが、いざとなったら怖がって外に出ようともしない。こ んなときにこそ集まって祈るのではないか。」という嘲りをものともせずに。
 
 かなり古い「復活の日」という角川映画作品がありましたが、今、それが細部は別として現実味をみせています。
 戦争のため準備していた「細菌兵器」が事故で外部に流失したという設定。
 しかし、今回現実に見ていることは、意図的攻撃だったのではないかという“うわさ”。そのような噂は、おそらくう噂だけでは事 実として受け入れてはならないのでしょう。事実でないのだとしたら。

 全能の神が、コロナウイルスの脅威から世界と日本を脱出させてくださり、キリストにある平和と幸せが回復する日を一日でも早く 来たらせたまえと祈る日々。熱心に罪から離れ、悔い改めを示したニネベの全土と全住民にたいして、滅ぼさないと決めれた神がわた しの神であり、その方が今も生きておられると信じているからです。