Tokyo 12月20日(金)
         
     
ジャーナリストの伊藤詩織さんが高裁で勝訴
 
 
日本国が、“国家”として再生するために、正義がいかに尊いことか、伊藤さんの勝訴判決で再確認しています。
 レイプ事件が女性にとってどれだけ酷な事案であり、同時に、被害にあったことを公にすることについてどれだけ勇気のいることか推察 するのみです。いいかえれば、レイプ事件において、どれだけの女性たちが“泣き寝入り”を強いられてきたかという意味でもあります。

 安倍トモであるというだけで、どのような罪も犯罪もなかったことにしてしまう腐敗した権力の下に、いまや日本はおかれています。
 あったことをなかったことにゴリ押しして事実を隠ぺいし通そうとするアベ暴力にたいして、それをはねつけるバネの役割をした伊藤さ んの“良心”がもたらす影響力は、すでに日本国内にとどまらず、世界が注目する事件となり、今回の高裁での勝訴も、結果として、歴史 のなかで大きな役割を果たすことになりそうです。
 旧約聖書のアモス書に「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ」とあります。
 さまざまな分野で「日本国の国力の衰退」が言われます。その根源となっているのは、政府が犯罪集団に牛耳られ、正義が失われている ことにあります。
 正義こそ、この国の見えない宝であると認めなければなりません。
 
 あなたはキリスト者ですか。
 キリスト者だけが、この国を救済できるとお考えですか。
 ・・・その考えは正義の創造者が神であり、人が作り出すものではないという事実が見えないようにされているか、神の御計画について 見極めるためのピントがずれているといわなければなりません。
 いえ、わたしはキリストこそ、すべての主権者の主権者であるという信仰をいただいているのですが、神が“正義”を支配されるとき、 キリストの名を語るかどうかではなく、神の意志が働くとき、どのような器も正義の器として用いられるのだとわたしは考えます。
 
 あえてリストアップはしませんが、自民党の政治家にキリストの名を語る議員が多いでしょう。え!、麻生さん、カトリック信者だそう ですね。たくさんのカトリック信徒が同類とみられる迷惑を蒙っているでしょうね。
 わたしは、伊藤詩織さんの行動のなかに、キリストの心をみます。
 山本さんはキリスト者ではありませんが、その発言のほぼすべてについて、わたしはキリストの心を感じ取ります。
 そのように、キリスト者でない人々の発言や行動を支持することにたいして、キリスト者は懐疑的になるのかもしれません。
 しかし、あえてキリストの名を語り、羊の皮をかぶった狼より、キリストの心を願い求め、魂の安堵のおきどころを正義にもとめる人が いるなら、そのような人がいろいろな思想信条をもっていたとしても、そこにキリストの心を読みとれると考えます。
 このような考え方は間違えているのでしょうか。
 メルケル政権を維持しているドイツ。
 わたしは、フェミニストではありません。あるフェミニストの論陣が「正義は女性にしか実現できない」といったのは正しい考え方ではありません。
 しかし、あえて女性が首相としてたてられ、そしてキリスト者としての信念を持ち続けておられるメルケルさんを首相としているドイツ にどこまで日本国が近づけるか。せめて、倣うことさえできれば、少しは再生にむかうのかもしれません。
 ドイツと日本の大きな違いはどこにあるのか。それは、ドイツの元大統領であったワイツゼッカー氏の演説に浮かび上がってくるでしょう。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」という、とりわけ徹底的な“悔い改め”に根差した戦後処理の仕方が示されたのであり、それにたいして、過去の事実を隠ぺいしようとしている「歴史修正主義」を標榜するグループが政治的に影響力をもち、日本国の「正義」に対抗しているひとつの無視できない勢力とみえるところにあると思われます。