Tokyo 11月29日(金)
         
     
北朝鮮が生まれたひとつの理由

 韓国の一部に属してたピョンヤンに集結し、37度線を国境とする北朝鮮が生まれたのは、
抗日パルティザン(日本の圧政に抵抗する地下運動組織)たちであり、そのけん引役 として役割を果たしたのが、当時、東京大学留学生であり、内村鑑三の門下生らであったことは歴史の事実として記憶されていなけれ ばなりません。
 いわゆる「無教会主義」はオリジナルである内村鑑三の思想とは異なるというご意見も伺ったことがありますが、留学生たちに印象 づけられたのは「教会無用論」であったのは明白。留学生たちが核となった抗日運動は、自由主義経済を否定するばかりでなく、ピョ ンヤンにあった教会を次々と閉鎖もしくは解体させる方向のけん引役になったのでした。キリスト者とは、神と個人と繋がりは直接で あり、教会を介在する必要はなく、教会がもっている礼典論、教職論はアナクロニズムに留まるばかりか「聖霊の働きの邪魔をする」 と教えていました。内村鑑三が、戦争にむけて、ひたすら太鼓持ちのような様相を呈していた地域教会を否定したとき、聖書を根拠と していたのだとしても、少なくともパウロの書簡のほとどすべてを福音書にたいして“相対化”したところに、“教会無用論”の根拠 をおくことなどできないのでした。
 見える教会への攻撃がいったんはじまると、キリストの教え全体を否定して、唯物論に行き着くまでの時間はそれほどかからなかっ たとみられます。

 それでも、内村鑑三や、いわゆる無教会主義全体をみわたすための“ひとつの資料”となるかもしれないだけで、無教会主義の全体像を 一部だけで全体を把握することはできず、歴史のなかで、とくに日本国内でどのような影響を与えたかについてはきわめて多岐にわたるの であり、近代日本が形成されるための影響力のある思想という意味だけではとうてい言い足りず、そして、単なる“異端扱い”だけも済ま されてはならないとわたしには思われます。