Tokyo 11月23日(土)
         
     
「使徒言行録」デボーションノート

 使徒言行録、もしくは使徒行伝といって、使徒たちの働きが記録されているとみるより、初代教会において、聖霊がどのようなみわざを なさったかの記録だとみれば、むしろ「聖霊行伝」という言い方がふさわしいと、どこかの神学者がおっしゃられていました。そうみると 「教会は聖霊の妨げになる」という言い方で、既存の地域教会を否定したPブローマンさん(聖書配布協力会の創始者)の表現について、 好意的にみれば聖霊が願っておられた教会の在り方と異なる教会形成についての指摘なのではないかと共感したこともあったのですが、 「見える教会」そのものが聖霊の邪魔なのであり、信徒は教会などの外的手段を通さなくても、直接神と繋がれる」という、つまり、使徒 信条にみられる「公同教会=カトリック教会を否定する、正統主義からすると異端に属する立場なのだと気づくまでやや時間が必要でし た。
 (わたしはプロテスタントなので、ローマカトリックとは異なるのですが、地上の教会は常に公同性=カソリシティを保たれなければな らないという信仰を頂いています)
 少し理屈が先行しましたが「ノート」ということでご寛容のほど。

 聖書通読は、ようやく使徒の働き2章の終わりのところに差し掛かりました。

2:44信者となった者たち はみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。 2:45そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配し ていた。 2:46そして毎日、心を一 つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に 加えてくださった。 

 初代教会の共同生活について「原始共同体」と呼ばれ、政治的共産国家の“原型”とみられるのはピントがずれていると考えます。初代 教会にみられる共同生活は、すべて国家権力によって強要されたものではなく、「心をひとつにして」「喜びと真心をもって」とあるよう に、すべてが自発的だったのであり、信徒たちの心が、生活にあらわれていたのだといえるからです。
 「すべての民」(新改訳)は、原文では、horon ton laon であり、いろいろな民族から“国際的信用を得た”という意味ではなく、「民衆全体から」(新共同訳)という意味で、ユダヤ民族のどのグループに属するもの であっても、グループが異なるからということで、排他的にみられることなく、少なくとも同一民族にたいして、敵意が植え付けられるよ うなことはなく、民のなかのすべての人から「好意」を得ていたというところが心に留まりました。
 大きなスピーカー音や鬼気迫る看板によって・・といえば大げさかもしれませんが、地域の人々から、日本のどの地域教会でも、キリス トの名をかたることにより、「同類」とみられることによって生まれる“憎悪心”の見えない被害は決して小さくはなく、丸森グループが 自称する「初代教会の原始共同生活」の質もまた、初代教会と全く異なるのだといわれるべきでしょう。

 聖書に親しんだ人であれば、パウロが、テサロニケ第二の手紙の3:10で、「働きたくないものは食べてもいけない」と語ったとされ ているところを思い起こされるでしょう。そこは、“共同生活”が生み出したコミニティのなかに、「働かなくても食べていける」といった人があらわれ、労働への不熱心が生まれていたとみられます。共同生活を「怠けていても生きていける」システムとみた輩がいたのかもしれませんが、これも、日本国が「最低 生活の保障」と憲法で名言しているところとどのような意味の違いがあるのか、明確に、神学的な考察を加えなければなりません。聖書を 根拠として、最低限の生活を営む権利を否定したい政治家がいるからです。国家は人の心の内面まであれこれ操作したり指示したりすべき でなく、すべての国民にたいして、基本的人権を維持していなければなりません。
 丸森グループが、原始共同体を引き合いに出して、属する子どもたちに、すべての私有財産を実質的に見捨てるのを強要し、自分でお 金・生活・時間・賜物を管理しする自由を奪ってきたのは悪質であり、聖書の意図的な誤用以外のなにものでもありません。

 パウロが述べているところをただ叱責しているとだけではなく、信徒のなかに「働くことの恵み」をいまだに発見できない状態を憂えて いたのだといえるのではないでしょうか。
 たとえば「秋のバザー」のように、互いにもっているものを共有したり、収益金を教会活動のために役立てたりするとき、「原始教会の 共同性」を見出せることでしょう。
 同時に、 教会は、働いて収益を得ることがすばらしい神からの賜物であり、自分のものを所有できるのも喜び、隣人やとくに貧しい人 への施しのすばらしさを味わうことも、伝えられているのであり、私有財産を否定しする共産主義や、反対に“生産性”で人をモノのよう に仕分して働けない人々を抹殺したいと願う非道な人々に、聖書を勝手に引用させてはなりません。
 パウロが「働きたくない人は食べてはならない」といったのと、
 iPS細胞の研究と実用化のための10億円補助金カットするなどに垣間見られる ように、「生産性のない人は生かしておけない、すぐに消え去れ」みたいなアベ政権の昨今のいいかたは、なにからな にまで全く異なるのです。
 話題は大きくズレますが、補助金とは結局政府の「いいなりになる」ように関係機関を飼育する素材でしかありません。 このあたりを わかっているかどうかが、「れいわ」の山本さんの政治的手腕が問われるとこでもあります。