Tokyo 10月30日(水)
         
     
山本さんの“涙”は 

 わたしは、あまり人を信 用しません。いえ、人は全く信用できないし、神とは違って不誠実であるといわなければならないからです。
 山本さんが九州での巡回演説をはじめているところ、熊本でのYOTUBE記録を見ました。YouTubeがすべてではないにせよ、 文字だけでリポートされたとしても、映像ではごまかしがきかず映し出されるのが現代ですが、それさえ、神がサラの心のなかの“冷笑” をあかるみにされたようなところをみても、神のレベルには到底及びません。
 神は、人の隠れた動議や心のなかさえ見通し、明確な裁きの遡上に乗せる方だからです。
 山本さんがいつものように聴衆から「意見」を吸いあげて、それにこたえるというところ、マイクをわたされた聴衆の一人が「あなたは 偽善者だ」といいました。少しアルコールが入っていたかもしれません。山本さんは、いつものように誤解を解くための努力か、あるい は、批判にたいしてできるだけ誠実に対応したいという場面でした。
 そこで、山本さんが涙され後ろをむいて、涙をふくようなシーンがみえました。
 「偽善者」呼ばわれされて、黙っておられるかとか、プライドが気づつけられたというのではなく、わたしには、「この発言者が、山本 さんくらいにしか声を上げる人がいなくて、ほとんど自暴自棄のような生き方しかできない」と、山本さんが気づいたのだと感じました。
 偽善者呼ばわりされたとか、うそつき呼ばわりされたとかではなく、そのような声を発しなければならないくらい“追い詰められた人” の姿をみて、腐った昨今の政治による犠牲者の悲惨な姿をみて涙されたのだと理解できました。
 いえそれさえ「彼は役者出身なんだから、涙だって笑いだってつくりものに違いない」とか、必ずいいはじめる人々がいると推察しま す。
 ほんらいの政治家とは、最も弱い人々の立場が理解できて、政治力が引き出されるとしたら、そのような人々の支えとされなければなら ないと考えます。
 おそらく山本さんのような感性をもった方はたくさんおられるでしょう。
 けれども、街に出て、いろいろな危険のリスクともむきあいながら、“声にならないような声を聴いている”政治家が山本さん以外にど こかにおられるでしょうか。
 キリスト教を含めて、既存宗教がいわゆる“富裕層”とかエスタブリッシュと呼ばれる人々の“フレームワーク”となっているかのよう にみえて、たとえば、これまで“最下層”と呼ばれた人々は創価学会に救いの道を求めました。わたしは、キリスト信徒なので、キリスト 教を端から“邪教”と決めつける論法についていけず、創価学会とは何ぞやすら学ぶための壁は異常に高いのですが、創価学会内部の「心 の呻き」を聞き分けることができていたのは、公明党の人は別として、政治家として山本さん以外におられたのでしょうか。
 神のやさしさは見えず、しかし、山本さんの“やさしさ”は見えるのだとしたら、そこから“山本崇拝”がはじまるのだとしても、それ が人のこれまで歴史のなかでくりかえされてきた常のことでした。
 人を信用していはいけません。当然のこと山本さんも“信用に値する”と、わたしも断定はできません。
 けれども、政治が、「堕落して地獄のような場面を作り出している」という判断と、最も弱い人々の助けとなり、「何もしなくても(生 産性がないとかいわれても)、誰でも生きていける社会をつくらなければならない」という山本さんのご意見には賛成です。
 そして、弱者の声にならないような声に心から共感できて、つくりものではない涙さえされているところからいえば、それはキリストに もみられましたが、彼がキリストと同じはずはないとしても、それはそれで、すごい能力だとわたしは思います。