Tokyo 10月25日(金)
         
     
もし、10人の正しい人がいたら 

 アブラハムが、ソドム滅 亡の前に、「もし、あの町に10人の正しい人がいたら、その10人の正しい人は、滅びにむかう大多数の人々の巻き添えになって死ぬの ですか」という趣旨の“疑問を呈した”という箇所。(創世記18章)
 「アブラハムが親戚ロトの家族のことを慮っていたのであり、いわば身内を守りたいために言ったことで、大多数の滅びを待つ人々のこ となど眼中になかった」のではありませんでした。
 アブラハムの関心は、身内の安全が確保されたら、あとは死のうが生きようがどうなっても良いと考えたのではなく、多数の悪い人の巻 き添えになって、わずかな人々が滅ぶということは、「神の正義」に反するのではないかというところ。
 つまり、信仰者としての良心から出されているうめきのような声なのでした。
 日本政府が、統一教会、創価学会などのカルト教団に“乗っ取られ”すでに、選挙も報道(マスコミ)も、そして正義の牙城であるべき 司法さえ、政権側の都合の良いように牛耳られているのであり、“日本滅亡”にむけたカウントダウンはすでに始まっていると感じている 人は少なくないでしょう。カウントダウンはさらに推し進められ、消費税増税によって拍車がかけられたとみえます。政権への国民からの 批判の芽を摘むために“膨大な無駄遣いである新天皇就任式典”がおこなわれ、すでにラグビーの乱痴気騒ぎが終わり、東京オリンピック の不正に塗れた実態があかるみに晒されようとしているとみられます。
 「れいわ新選組」のように滅びにむけた動きを少しでも阻止する動きにたいして、滅亡を回避できるかもしれないという兆しが見えなく もありません。
 どこかに、「腐った果実のような日本民族なら、いったん完全に滅亡したあとなら、植物が種から再生できるように、再起の道があるの ではないか」と、・・・どうせ行くなら行くところまで行ってしまえと、諦めとも、投げやりともつかない心は、信仰のあるなしにかかわ りなく、日本人の心を支配してしまうかのような恐怖心さえ覚えさせられます。
 多勢に無勢と、圧倒的な悪の力のまえに、心が萎えてしまい、自分も含めて滅亡へのカウントダウンに抗う気持ちが失せてしまうという ところまで行きそうになります。いえ、それが正直なところです。
 アブラハムは、自分の「祈りのパワー」を信じて滅ぼさないでくださいと念をかけたのではありません。最終的に滅ぼすか滅ぼさないか を決めるのは誰であるのかと知っていたからです。
 天地は神の創造の業によってできたのであり、創りだすことができた神は、同時に、滅ぼすこともできるのでした。

 社会正義を安定して保つことが、社会全体の存続にかかわるのだということを、多数の人々は理解できていません。見えるものは、常に 見えないものによってささえられているのです。正義を尊ばなくなるところ、滅びが招かれるのです。正義の根源が神にあり、正義の基準 がモーセの十戒にあるというのは法則のようなものであり、たとえば信仰が全くなくて、それでも十戒の大切さを知って、それをおこなう なら、「安定した地上での生涯」への道だとしている人がいても不思議でありません。しかし、「すべての正義の創始者はキリストであ る」と理解できている人は、信徒のなかにさえ、もしかしたらかなり限られてくるでしょう。
 真面目なキリスト者であれば、この国の正義の根源であるキリストに、この国が滅亡にむかわないように、祈り求めるべきです。
 「悪人たちの所業の悪さのゆえに、数少ない正しい人々が“滅びの巻き添えに”されないように」祈るべきです。
 「悪人は勝手に滅びてしまえ!! 善人だけが、いやキリスト側につく真の信徒だけが救われるように」と祈りますか。
 それも、やはりアブラハムの祈りやキリストの心からは大いにピントがずれているといわなければなりません。
 自分に罵声をあびせている人々のため、「父よ、彼らをゆるしてください」と祈られたキリストの心はどこにいったのですか。

 「たとえ正しい人がわずかしかいなくても、そのわずかな人の正しさのゆえに、右も左もわからないような大多数の日本国民さえ、滅び の道から救ってください。」と祈るべきです。 
 神は、日本民族の誰一人も滅びないで、悔い改めに進み、平穏と安心に満ちた生涯を送ってほしいと願っておられるからです。