Tokyo 9月3日(火)
         
 
   「それ以上でもそれ以下でもない」とは何か?
  

 これはオリジナルの日本語表現ではなく、おそらく英語の言い回しを直訳した言い方で あると思われます。

 この言い回しは、影響力のある演説などではみられず、どちらかというと、あまりインパクトがないとか、内容が乏しいにもかかわらず、 “箔をつける”ための修辞表現のようにわたしには感じられました。
 ・・・は○○○であり、それ以上でもそれ以下でもない・・・という言いまわしによって、言外に浮かび上がってくるのは何か。
 自分には、自分が主張している内容に相手を説得する力がないと自覚しているとか、もしかしたら、反対する意見を受け入れることができない心の狭さが露呈していると推察します。
 そればかりでなく、「AはA以外の何物でもない」という言い方とリンクすることで、自分の絶対的な立ち位置におき、相手を見下したり、排他的態度や、異なる意見を受け入れない心の狭さが暴露されてしまうというわけで、この表現をところどころで使いたくなる人は、言外にこのような「排他的態度」や「批判を受け入れない頑 迷さ」を伝えてしまうことになります。いえ、何か言いたいとき、表現という限りにおいて、わたしは、絶対に使いません。
 しかし、最も深刻な問題なのは、このような言外の派生効果を、本人が全く自覚できないまま、「説得力」を増すかのように語られると ころにあります。
 あたりまえのことですが、自分の意見を押し通そうという高飛車な態度。「AはA以外にありえない」という心の狭さなどが曝されるとわかっ て、あえて自分の隠れた弱点を語ろうとする人はいないでしょう。
 つまり、この言葉が使われる背景には、自分の立ち位置がわかっていないとか、本当に説得力があるわけでもないのに、相手を説得した いという覇気だけを吐露していると自覚できていないという別の問題が浮かびます。
 回りくどい言い方をしましたが、要するに、わたしには「それ以上でもそれ以下でもない」という言い回しを使うような人の演説をきく とき、これははじめから聴くに値しない薄っぺらな言論であると判断するというスイッチが入ってしまうのでした。

 「わかりやすく言うと」とか、「誤解を与えるのを恐れないで語ると」とかに加えて、「それ以上でもそれ以下でもない」という言い方 をした人の発言について、わたしは・・ただの偏見なのかもしれませんが、わたしはその人のどんな発言も、以後絶対に信用しないことに しています。
 あ!あの枝野さんかなぁ?
 そうかもしれませんね。