Tokyo 8月6日(火)
         
 
  なぜ、すぐに滅ぼさないのか
 

  ソドムとゴモラの叫びは大きく、またそ の罪は非常に重いので、 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう。

 背徳の罪により、ソドムとゴモラは、神が火によって滅ぼされました。
 全能の神が、なぜ、わざわざ「見て」「知る」必要があったのか。
 そのあたりが、わたしが少年の頃から抱いていた疑問でした。サラが心のなかで笑ったのをご存じ であった神は、人の心のなかのことがわかるのであり、とうぜん、「見たり確認したり」する必要もないはずなのに、どうじて、猶予され ているような所作を見せられたのかというところ。
 三位一体は、キリスト信徒にとっても、知性の理解を超えますが、神としてのキリストの役割は、ここで、父なる神に“とりなす”こと にあるのだと知らされます。
 “すべての人が悔い改めて、救われるのを願っておられる”神は、罪の町ソドムについて抹殺を決めておられるのに、「主よ、もう少し 待っていただけませんか」と、執行猶予を願っているという立ち位置に、キリストがおられるのだと考えます。
 いまや、滅亡にむかっている日本民族にたいして、“執行猶予”されているとみえるのが、沖縄での玉城デニー知事の誕生でした。そこ からいくつかの希望の火がともされるようになり、山本太郎さんもその一人だったと思われます。
 わたしは神学的には「聖定論」者で決定論者なのですが、神はすべてをご存じであり、、同時に、人の命をすぐに取り上げることをされ ず、たとえば滅びの決定が下されいたニネベにたいして、預言者ヨナが遣わされ、ヨナの説教で悔い改めたため、神は滅亡を思い直された という聖書記事があります。
 神は死刑の執行を猶予され、滅びから逃れようとして、罪から離れ、悔い改めて神に立ち返るのなら、たとえ、そのときに神とは誰か、 なにをどう信じたいいかはっきりわからなくても、少なくとも、滅ぼされるのを中止されるのだと思います。
 
 創造主は、ソドムのように日本を滅ぼす意思をもたれたものの、「執行猶予」されているのだと思います。
「ここは、すぐに切り取らず、もうすこし様子を見させてください。もし、それでもだめなら、しかたありません。」

 玉城デニーさんが沖縄知事になられたのが試金石。
 「オキナワの心」は憲法の心でもあります。「オキナワ」で示された民主主義の再構築が、“本土”にどれくらい広がるかが鍵。
 山本さんの放った“ほんとうの意味の民主化”の火は、すでに全国レベルとなり、金の力や腹芸など、これまでの考え方が通用しない新 しい事態が生まれているのだとしたら、「執行猶予」の先にあるのは、あらためて、キリストが願っておられるように、日本に住むすべて の人が、思想信条に関係なく、「平穏で静かな生涯をおくれるようになる」ことなのだと思います。