Tokyo 7月24日(水)
         

  「がんばらなくてもいい」

 
   
 「れいわ」へのメール。
**************************************************
 以下、わたしの主宰するブログに記載しました。

http://www.ahsic.com/nikki/Diary/2019_07/2019_07_22.html

これからも応援し続けるつもりです。

「がっばってください」というのは、あまり好きな日本語ではありません。
ですから、がんばって・・とはいいません。
どうか、「この国に住む誰もが、がんばらなくても平和に楽しく暮らしていける社会」
を実現してください。


I wish you could realize your best!!

吉井春人

****************************************************
「働かないものは食べてもいけない」といったのは、使徒パウロが、テサロニケ人への第二の手紙で言っているフレーズ。 

6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れ ていなさい。 7 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、 8 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。 9 それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。 10 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。 11 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。 12 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
 
 聖書の文脈は、「仕事ができる能力や体力をもちながら、働くことをしない人々」への警告となっているのであり、“生産性”を尺度に 人を決めつけなさいといっているのではないのですが、聖書の文脈からずいぶん遠いところに、言葉だけが流布してしまいました。
 アダムとイブがエデンにおかれたとき、人は仕事と出産について、祝福を受けました。それをマイナスの意味で、「仕事をしなければ呪 われる」とか「出産できないのは呪われる」とかいう意味では全くないのであり、人が生まれたのは、愛される存在として生きるため、生 きているだけで愛さるべき存在となっているのです。その上で、仕事も結婚も結婚に伴う出産等も、すべて祝福の上にさらに祝福を増し加 えらえるために与えられたのであり、“〜でなければならない”という教えではないのです。
 パウロの言い方は、やや厳しくて、仕事に駆り出しているような印象を与えます。ほんとうの意図は、もともと「仕事」は人にとって喜 びであり、それによって、祝福をさらに増幅できるというところにフォーカスされているのでした。
 怠けているとみられる人をただ糾弾していると読まれるべきでなく、テサロニケ信徒にたいして、優った生き方がこれだと指し示すこと で、周囲から理解されず、交わりから批難されやすい人々であっても、もっと優れた生き方をもてるようにと願う「愛」から出ている言葉 であるといえます。
 福音書を読んでいただければ、「生産性を基準に人を決めつける」パリサイ人や律法学者たちにたいして、当時もっとも闘っておられたのがキリストだとご理 解いただけるでしょう。
 キリストの心とパウロのテサロニケ人への勧めは、矛盾しているのではなく、むしろ共鳴しているのです。
 人は愛されるために生まれ、そして、「がんばらなければならない」とか「〜しなければ罰せられる」とかいう恐怖の奴隷とされるよう ではなく、・・もちろん、仕事の奴隷になれとか言われているのではなく、仕事をするのも祝福、そして何も仕事をしないとしても祝福さ れるべき存在として命を与えられているというのが、聖書が示す人生のありかたです。 人生「受けるより、与えるほうが幸いである」が 基本です。それがキリストにあって望まれる生き方。

 障碍をもつ方は、「生きている」だけで「仕事をしている」とみなされるべきです。
 未来の都市計画を案出するため、真っ先に意見を伺わなければならないアドバイザーとして。それは、「傷害をもつ人が安心して暮ら せる場所とは、すなわちすべての人にとって安心できる場所である」からです。