Tokyo 7月19日(金)
         
何を恐れているのか
 

 
 何ももっていないというのが、実はもっとも平安であり、神が創造してくださった世界 は、何ももっていなかったアダムとエバにたいして、幸福しか与えませんでした。
 いつの日にか、所有や社会的地位が「幸福の尺度」であるかのようなデマが人の心を支配するようになり、プロテスタントは、このデマ に無関係といって、知らぬ存ぜぬでは通用しないほど、社会の近代化に貢献してきたのです。学校システムしかり、それに原発しかり。
 「地位と名誉」に甘んじることについては、聖書のオリジナル宗教としてのキリストの目線では、むしろ「パリサイ主義」として、攻撃 すべき対象とされているのであり、おそらく仏教やイスラムなどの宗教心とは、俳人の山頭火みたいに、もともと「何ももたなくても豊か さや平穏を実感させてくれる」という教えを含んでいるのではないかと考えます。

 心の状態を考えたら、ほんとうは、何も持っていないほうがいいのです。
 でも最低の衣食住くらいは国民の権利だし、一人暮らしならいいですが、家族がいたら「何ももつな」とはいかないでしょうねぇ。
 いえ、正確に言うと、仮にたくさんの金やモノを持っていたとしても、心がそれに支配されなけない状態が最善。
 世を去るときには、お金はもちろん、何一つ持っていくことができないからであり、何ひとつもっていなくても幸福だとしても、誰かの ために良いことをする・・・それを善行というのなら、見返りがあろうがなかろうが、隣人愛は苦痛ではなく、いえ、それどころか良いこ とをするとか、誰かの罪を許すだけで、幸福の連鎖は広がっていくでしょう。
 その意味で、創価学会の信徒であり、同時に、公明党のやっていることに異を唱えることが許されないような「良心の痛み」を感じつ つ、不本意ながら、公明党を支持せざるをえない人々のために、「れいわ」の野原ヨシマサさんが開いてくれている道は、良心の解放区へ の道であり、たくさんの幸福を与えるに違いないと確信しています。
 いまや巨悪ともいえるNHKのなかで、生活のため、自分の本心をいえず、組織のなかでつぶされ、あるいは干されているかもしれない 職員にとって、N党の躍進は、すくなくとも良心の"解放区"であるに違いありません。
 ひとつの仮想として、安倍総理の心を忖度してみると、その意味では、幸福とか平安とかとは全く反対の状態におかれているに違いない と判断してほぼ間違いはないでしょう。
 「アベやめろ」と、街頭演説で言う人があり、わざわざ警察権力までつかって排除させたのでしょう。自分が批判されるのが怖い。おそ らく謙虚でないとかいう資質の問題があるのかもしれませんが、もっとディープなところで、自分が手にしている「打ち出の小槌」を失い たくないだけなんででしょうね。
 すでに得ているものを守るのに必死で、批判してくる人の意見を真面目に聴くなどという余裕さえなく、攻撃しなければ守れないと思い 込んでいるのではないでしょうか。
 持っている人は、失うのを恐れます。金持ちが幸福だという判断基準が間違いだと思われるのを、「持っていない人の僻み」だとかいう のも、金持ちであるステータスを失いたくない人の言いぐさです。
 失わないため、必死です。
 選挙の不正操作は、トランプ政権誕生のプロセスであきらかになり、それと同じ操作が、安倍政権に至るまで、そしてアベ政権では確信 的に選挙の不正な操作がされていたのです。金の力も限界があるのです。恐れに支配されているため、もっているものを失ないたくないだ けのために、それこそ手段を選ばない。何でもやるでしょう。嘘も平気、世論調査だって買収してねつ造。選挙結果も操作。どうしょうも なくなったら暗殺にだって手を染めるでしょう。
 いちど、恐怖に支配され、自分のステータスを守ることだけが「正当化」されたら、手段を選ぶなどという良心の声など聴く耳をもたな くなるのです。
 公明党の山口さんが、「鉄人28号」の替え歌で、野党を攻撃してたとか。やれやれ、何を考えているのかですよね。何を言っても何を やっても、安倍がらみの不正システムに守られているので大丈夫とか思ってるのではないでしょうか。
 「身内」の創価の人々で魂を悪魔に売り渡していない人は、いったいどう思われているのでしょうね。
 壊れているのは日本民族ではなく、安倍一味。ほとんどの日本国民は、もともと、民族性として、能力が高く、隣人愛に満ち、親切であ り、いたわりの心をもっておられるのではないでしょうか。
 「恐怖の連鎖」が世界を滅亡に陥れます。「恐怖の塊」になっているのがアベとその周辺のテロリストたちです。
 テロリストたちから、日本を取り返さなければなりません。