Tokyo 7月3日(水)
         

 学校に行かなければ大人になれないのか

 
  「通学」「制服」「教師」「教科書」「塾」「宿題」「教室」「定期試験」。
 まだありますが、学校がらみのすべての要素は、ホームスクーリングには無用です。
 それでも、学校にかかわるすべてが、大人になるための絶対条件だという思い込みは、すべて洗脳です。
 エリートが非エリートを支配するための洗脳 でもあり、「れいわ」の安冨さんがおっしゃるように支配されやすい愚かな民を増産するための具でもあります。、日本では、学校生活が終わっても、「テレ ビ」が民の無能化にひと やくかってくれるのでした。
 「通学」がないというのは、カリキュラムと同様に、時間の制約を受けないという意味です。子どもの時代に、時間通りに動けることを 「躾けたり」「訓練」しなければ、"大人になれない"というのは全くの嘘。むしろ、お金と同様に、時間は自己管理すべきものでしょ う。時間の自己管理とは、枠に当てはめられた、たとえば刑務所のようなところではなく、自分で計画をたてるべきなのです。
 「時間を忘れるような仕事」をしたいと思いませんか。学校では、絶対にひとつのことに夢中になることはできないのです。与えられた プログラムの範囲を守らねばなりません。
 娘が「制服」に憧れたのは事実です。息子たちは、制服に魅力を感じなかったようです。ユニフォームは軍隊訓練と同じです。個性や独 自性を抹殺して、行動と知識の均一化を推し量ろうとしています。しいていえば個性に応じたカリキュラムは必要であり、徹底的に個性に あわせた学習コースが理想ですが、そのようなことはもともと学校に期待してはならないのでした。
 社会で仕事において、ユニフォームは必要な場合があるでしょう。第一に所属をはっきりさせるため。そして、チームの一員であることを 自覚させるためです。それでも、高価な制服だけのために、自己負担で家庭の経済を痛めるのは無駄です。
 「教師」。インターネットやスマホの時代に、何かを調べたりしたい場合には、あえて教師は必要ありません。むしろ、教師の言ってい ることを間違いがないか子どもたちがチェックするようです。教師たちがいかにいい加減で権威主義だけで仕事をやっているか炙り出され るのではないでしょうか。「試験」「定期考査」いずれも、子どものためではなく、教師が教えたことを、いかに忠実に紙面に再現できる かを試すものであり、試されているのは子どもではなく、むしろ教師の側です。もともと、教室で受けた断片的知識(情報の断片)を、100パーセント紙に再生できれば優秀だなどとう決めつけ方が、子どもの能力を正確にあらわしているはずもないのです。
 たとえば、パソコンをばらばらに分解したあと、それを、元通りに組み立てる方法を身に着けたほうが、よほと知識としては有効で す。教師に教えられたことを忠実に紙に書く。そんなことより、たとえば、カブトムシの育成に興味をもって、それをどのようなかたちで 商売にするかなどを考案できたら、そのほうがずっと役に立つ知識となるでしょう。カブトムシを売ることに成功したら、どうやって大き な個体をつくるか、どうやって高く売れるかを考えることで、お金の管理や、流通の管理を学べるのではないでしょうか。
 大人になるために「試験を受ける練習」など必要ありません。論文の書き方を学ぶのも悪くないですが、どのように自己表現するかと いう意味で、音楽も、文字も同じです。どのように人の心をつかむのかという工夫は、人から教えられて身につけるのではなく、自己開発で得た結果のほうが優 れているに決まっているでしょう。
 「教室」は、同年代の子どもが一同に集められるという非常に特殊な空間。一般社会には存在していません。ですから学校で社会性 を学べるはずもないのです。教室では教師が絶対者として全能の神のようにふるまい、敬意を要求され、一方的に命令を与えます。そのような場は社会 性というより、むしろ反社会的な共産主義です。共産主義からすると、学校教育は共産主義実現のための必須条件でしょう。いじめとしかみえないのに、それを教育と勘違いしているでしょうけれど、「教育」そのものが無駄で時代遅れなシステムなのだとそろそろ気がついてもいいのではないでしょうか。
 共産党が教育問題についていうとき、常に「学校問題」としてだけしかいえないのは、共同教育以外の教育の有用性を認められないから でしょう。
 「試験」。それがなければ自己診断できないわけではありません。
 試験は、子どもの劣等感を植え付けるための道具であり、反対に「優秀」といわれれる子どもたちのなかに生まれる優越感の害のほうが 大きく、「百点満点、この子の将来が心配だ」(五味太郎)という名言をかみしめなければなりません。(Mさんのような偏った人が生ま れます。)子どものために、試験システムに 子どもの知識育成を期待するのは無駄です。
 安冨さんが語られるように、「学校は無駄なことをばかりを子どもに押し付けてきた」「学校教育そのものがいじめそのものである」と いうのはほんとうです。