Tokyo 7月1日(月)
         
学校をなくす
 

 ユーチューブで安冨さんと木内みどりさんの対談を興味深く聴きました。
 学校はこれまで子どもたちのため悪い影響を与えるシステムだったことはあれ、良いことはなかた。そうだとしたら、すぐに
制度としての学校そのものを、・・・少なくてもただちに完全撤廃は無理だとしても、学校が子どもたちに与えてきた縛りを「子どものために終わらせなければならない」という点はわたしの考えと完全に一致しています。
 たとえ時間がかかったとしても、安冨さんのいう「学校の廃止」は、これだけ子どもが自殺しているのをふまえたら、すぐに明日からで も実現しなければならない最重要課題だと思われます。

 わたしがホームスクーリング実践をおこないはじめた80年代後半から90年代にかけて、日本でホームスクーリングそのものはほとん どみられないときも、「脱学校」(Deschooling)というテーマを扱う研究者は日本で決して少なくありませんでした。
 世田谷区松原でおこなわれた学習会に、わたしも講師として声をかけていただき、米国や日本のホームスクーリング事情をお話ししたこ とがあります。(一般むけ。とくにキリスト者むけではありませんでした。)
 脱学校を提唱したイリイチにたいしては、批判がなかったわけではなく、「学校をなくせばどうなるか」(邦訳あり)という一種の「未来予測」 が論争として惹起されました。わたしがおもしろいと思ったのは、マイクロソフトのビルゲイツさんも、インターネットの発達した将来の社会において、 学校の役割がかなり相対化されるであろうという未来予測を書いておられるところ。
 いまや人工知能がこれから社会に急激に浸透していこうというこの時代、学校というインフラどころか、教師の役割も、(教師という役割が完全に終わるということはないとしても)形がかわるようになると述べていたゲイツさんの予言は、これから実現しようとしていま す。
 安冨さんが当選したあと、「脱学校」をどのような政治的な課題として掲げる予定がおありなのかは未知数。
 ただし、これまでの「教育論」は、ほとんど「学校をどうするのか論」に終始してきたのであり、"不登校""不適応""学習障碍"いずれも、学校という枠組みから抜け出ていない議論だったところに、安冨さんは、教育について、もっとも根源的な考え方を引き込もうと しておられるよ うにみえました。いえ、それくらい子どもをとりまく緊急事態は待ったなしの状況なのでしょう。

 先行されるべきは、ひとまず「学校をなくす」のではなく、学校教育の相対化であり、憲法でいう「義務教育」は学校に登校する義務で はなく、教育義務と再確認することすべてがはじめられるべきでしょう。
 諸外国では「オルタナティブ教育」としてむかしから 知られていました。学校の強制力をなくし、選択可能なコースにすることで、子どもたちや社会そのものを「息苦しさから解放」するので す。

 ただし、最近の議論の「最先端」からいうと、教育そのものを「無駄な努力」とみます。教育無用論も、メジャーな教育論からはほとん ど無視されてきただけで、かなり以前からあるにはありました。
 教育そのものが無駄。教育を全面的に止めることが、子どもにとって最善。ただし、それさえ、日本では江戸時代から「子どもは遊んで 育つ」といわれてきいたわけで、まさにそれは「先人の知恵」だったのではないかと思われます。
 子どもに教育も学校も不要、子どもは親が生活をバックアップしなければなならないが、自由に遊ばせ、何をしても、何をしなくてもい いというところまでいけば、それが最善の到達点です。
 子どもは学校に生かせず、「学校」「教師」「教科書」「教室」「試験」は無駄。無駄というのは、やや極論にきこえたとしたら、すべ て「選択可能」にするところまでいって、ほんとうは「アンスクーリング」まで到達できれば、子どものもっている潜在的な能力が最大限に引き出されるのでした。
 アンスクーングへの批判もかなりさかんにおこなわれてきて、多岐にわたるとはいえ、すべて、子どものための議論ではなく、「親の安心感」とか「周囲への説明責任」というだけの表面的な必要から"家庭の学校化"をいっているだけなのでした。
 子どもには学校も無用。そして、子どもを監督し保護したり、支援したり、広い意味のサポートが必要ですが、すくなくともこれまでのように学校の枠を出ることができない教育の考え方は時代遅れなのです。
 我が家の3人は、「通学」「制服」
「教師」「教科書」「塾」「宿題」「教室」「定期試験」などは、全く経験していません。
 ホームスクーリングだけでした。塾にも行かせなかったため、当然のこと、わが家では「教育費」という支出はゼロ。
 そして、「集団活動」「社会生活」「仕事」に支障があると思ったことは一度もなく、いま大人となり、社 会人として普通の生活しています。
 教育という「弊害」を受けなかったため、親子の関係は良好であり、現在、娘は結婚し、息子たちもそれぞれ社会人として自立して 生活しています。