Tokyo 1月3日(木)
         
   カタリーナはルターの妻。ルターには、貴族出身で修道女であったカタリーナとのあいだに三男三女が生まれました。
 宗教改革者として波乱に満ちた生涯をおくったルターでしたが、家庭生活においては平穏と幸福が与えられたといえます。
 その一方で、スイス・ジュネーブの宗教改革者とされ、近代のプロテスタント教会にたいして、絶大な影響をあたえたカルバンは、再洗礼派の寡婦であったイ ドレットと結婚。ジャンが生まれたものの幼少の頃亡くなり、イドレットも病に倒れ、ジャンを産んで数年後亡くなりました。
 「地上の生涯」についてだけいえば、ルターには幸福な家庭生活が与えられ、カルバンは、家族や家庭について“豊か”ではなかったとみられるでしょう。
 

 音楽の世界で言わずと知れたバッハ。バッハは「アンナマグダレーナのための音楽手帳」という作品にも示されるように、家庭にも恵まれていました。同じル ターの系列に属し、ルター同様に、良妻と健やかな子どもたちに囲まれた幸いな生涯をおくりました。
 音楽家という意味で、バッハと同世代に生きたテレマンは、家庭生活においてあまり幸せだったとはいえません。
 最初の妻と死別した後、マリア・カテリーナと結婚。しかし、このカテリーナは金使いが荒く、とくに賭け事にはまり、テレマンの年収をはるかの超えるほど の借金をつくったとされ、資産家の支援によって、テレマンはからくも危機を逃れたとはいえ、散々なめにあわせられたのであり、これにカテリーナの不倫騒動 が加わり、最後は妻が家出したといわれます。
 このように、主はある家族にたくさんの祝福を与え、他方にそれほど幸せをお与えにならないようです。これを“神が人を不公平に扱っておられる”というのは あまりに表面的な見地でしょう。
 神が、「人に不公平さを与えてご自分の力を誇示し、楽しんでおられるのではないか」といいはじめるのも、聖書を知らず、そして主の摂理の機微についてあまりに不 敬な言い方とされるでしょう。
 主は隠れたことにみ心を留められます。
 さらに、人の目の届かないところに主のご計画があるのだというところからすると、常に命をねらわれていたルターにたいして、「家庭生活の平穏」が与えら れることで、主はルターによって実現されようとしている「宗教改革の設立期」にあったご計画を完成させ成し遂げられようとされたのかもしれません。一方の ルターの改革を受けて、大きな改革の流れができた後のつまり、「宗教改革の確立期」におかれたカルビンについていえば、地上の幸せが少なくするされること により、ますます自分が「天国の住民」であると自覚し、いえ、そのように旅人として地上の生涯を送ったアブラハムの信仰に近いところまで徹底的に引き寄せ られる所が「裏打ち」として、「キリスト教綱要」執筆のため必要だったのかもしれません。
 ひとりには、地上においても天国の前味(まえあじ)をたくさん与えられる。それと同時に、他方において「地上ではなく天国への憬れ」をより強く与えられ ること。人が評価できない領域であり、ただし、その両方について、主のご計画を成し遂げようとしておられるのであると信じたいのです。 
 蛇足ですが、“宗教改革”ということばは後代に歴史学者がつけたテクニカルタームであり、ローマカトリックによって堕落した教会にたいして、聖書に基礎 をおいて教会の“カトリック性”を復興しようとしたところから、プロテスタント運動が固められていったのです。
 パリで客死した森有正もそういっていますが、カルビンの伝統をくむカルビニストたちがほんとうに継承すべきは(“学際的”であることがもしかしたらある 程度あるのかもしれませんが)、「地上にありながら、ひたすら天国の住民としてアブラハムの信仰を受け継ぐ」ところであろうとわたしは考えます。
 人生に与えられる豊かさと貧しさ。
 順境においても逆境においても、その両方に大切な意味を与えてくださる主の聖なる御名を褒め称えよ !