Tokyo 12月18日(火)
         

愚かな者にその愚かさにしたがって答をせよ、 彼が自分の目に自らを知恵ある者と見ないためだ。 
(旧約聖書 箴言 6章:5節 )

 信仰のない人々にとっても、旧約聖書の箴言は“処世術”を著しているかのようでもあり、入門という意味では、わかりやすいかもしれません。「自分がキリ ストを超えた」などという人にたいして、対等な立場で語るのはもはや不可能であり、自分が何を言っているのかわかないという悲しむべき状態にあるのだと悟 る時がくるのだとしたら、それは他人がどうこういうのではなく、自分が自滅の道に向かっていると悟る以外にはないのでした。愚かな者と同じ目線にたって、 誰にでも対等にあいてをすることは、「差別をしない」というところからすると、全うなことなのでしょうけれど、ところが、愚かな人と歩調を合わせること で、自分も同じような愚かさに陥っているのだと気づかなければなりません。
 主が憐れんでくださり、再生する道を備えてくださるのであれば、主の怒りはむしろ、必要な事柄に属するからです。

 キリストの名を軽々しく扱うことが、どれだけ冒涜であり、尊大な心にたいしてどんな災いが引き起こすかわかるというところまでいくと、他人がどうこうで はなく、やはり、「キリストの名を冒涜してはならないということを学ばせてくださる」主に委ねるのが最善なのでした。
 「バカとつきあうな」といって、誰に対しても上から目線や軽蔑のまなざしか、もしくは、他人を見下すような態度しかとれないのにそれを“処世術”とみな している人について、「兄弟に向かって愚か者と言う者は、議会に引き渡されるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」(マ タイ5章)にあるところがいかに真実か、そのような人を説得して、隣人愛の大切さを解くのではなく、「兄弟をバカにすることがいかに愚かなことか」を自分 が悟れるようになるまで、委ねるようにすべきだという意味でしょう。
 箴言にあるように、「愚かなものにたいして、愚かさにしたがって答える」とは、どういうことなのでしょう。
 相手にたいして、“愚かだ”と決めつけるのがいかに困難でしょう。
 誰にたいしても、人が表面で理解できることはごく僅かであり、実は見えないところや隠れているところにたくさん“優れたところ”が眠っているのだとした ら、だれにたいしても「愚かなものだ」と決めつけるのは避けるべきで、「「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い,尊敬をもって互いに人を自分よりまさって いると思いなさい。」(ローマ12:10)とあるのは、信仰を同じくする兄弟姉妹にたいしてであり、異教徒には適応されないのではないかという反論もあり そうですが、ほんとうは誰でも他人を簡単に決めつけることができるほど賢くないのであり、ところが、その一方で、愚か者と歩調をあわせると、自分が愚かだ と思っている相手の性格が、そのまま自分のなかに引き写されてしまうというのは、日常茶飯事の経験だったりするのでした。異教徒であるなら、“愚か者扱い できる”などという思想が許されるはずもありません。
 怒りにまかせて自分を批判する人にたいして、自分も同じように“反論”したくなるとしたら、この箴言は思い出さなければならない箇所なのでしょう。
 キリストを怖れなければならないのは、すべての隠れた事柄について最も正確で峻厳な裁きをなされる方であるところでしょう。
 キリストを引き合いに出して、「〜はキリストを超えた」などということについて、それがただの無知に基づくならもしかしたら許されるかもしれません。た だ、キリストの名を冒涜することを公にしたあとで、どんな裁きも免れることができるとは・・・やはり思わないほうがいいでしょう。
 麻原彰晃もそういいました。いえ、「〜はキリストを超えた」といいはったのはなにも麻原ばかりではないのです。他人を見下すことなく、それでも、他人の ための最善を願って祈るというのは、まさにキリストが十字架上でなさったことです。ほんとうにキリストに学ぼうとするなら、愚かな人と歩調を合わせないよ うにするだけではなく、「その人のために祈る」ところまで到達できるのだと考えます。
 人は罪深くそして傲慢なので、どれだけ謙遜であっても「謙遜すぎる」ことはないからです。  

 蛇足ですが、アメリカ人のなかには「英語を話せない人は、人にあらず」とかいう価値観にこりかたまっているひとがいるらしく、箴言に従えば、愚かにもそ のように思いこんでいるアメリカ人にたいして、「それぞれの国には、それぞれの文化の担い手となっている言語がある」など講釈しても無駄であり、そのよう な英語能しかないアメリカ人にとっては、「他国の原語を学ばない愚かさ」を悟るようになるためには非常に遠い道を行くしかないと悟る以外にないのかもしれ ません。