Tokyo 11月11日(日)
         
 
 軍靴の音が街に響き渡る悪夢を見ました。
 安部さんが首相の座に留まるということは、すなわち、自衛隊が軍に格上げされたうえで、国家が“共産化”される意味でもあります。
 共産主義への反旗を掲げながら、反共をめざして権力を行使する側が“共産国家”をめざしているという皮肉です。いまや共産主義への攻撃は見せかけであ り、「自分たちの思想に基づかない共産思想を許さない」というだけに過ぎません。
 日本国民への愛がかけらもない民族主義もどき。名目だけの天皇礼賛。多様性を受け入れず、ひとつの思想だけを礼賛する。権力によって固められた一党独裁 の政治。ひとつの思想しか存在を認めない、ただし見た目の言論の自由を守るために、その存在を許さないのではなく、「自分をヨイショしてくれる言論だけを 認める」のであり、政府を批判する言論を許さない。政府の良いなりになるメディアだけが生き残る。反対するものは抹殺(暗殺もふくめて)する。
 繰り返しますが、アベ政治の一党独裁をゆるしたり、軍国化に歯止めをかけず、かえって応援団になり下がった公明党=創価学会の罪はきわめて重いのです。
 国家のために身を捧げることが人生の最善の目標として掲げられるなど、安部さんのむかう方向そのものがすでに「国家の共産化」なのなのでした。安部さん が思想的な基盤としている日本会議の生き方こそ、表向きの平和とは裏腹に、いまや「日本の共産化」もしくは「北朝鮮化」をめざすテロ組織によって乗っ取ら れているという認識が必要です。
 自由な言論があるかのようにみえますが、NHKを筆頭にいまや骨抜きにされた中身が空洞なだけの「張りぼて」のようであり、報道の自由は先進諸国のなか でも最下位に位置しているというのはすでに世界に周知されているのでした。

 マルティン・ニーメラー牧師の有名な次のことばは、今のキリスト教会においても再確認されなければなりません。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった