Tokyo 11月10日(土)
         
 
 どのようにお金を節約したいかと悩む方は多いでしょう。けれど も、“教育費の節約”だけには手をつけたくないとお考えの親御さんはおおいと思います。ホームスクーリングにおいては、“教育費”と呼ばれる出費を、最小 限に抑える事が可能です。いえ、もっと正確に言えば、親が“ここ”と思うことに最大限の投資ができるというメリットもあります。教育費という名目は、一般 的には教育を専門におこなう機関つまり、それが学校であれ塾であれ家庭教師であれ、他人に教育を委ねるための手間賃のようなものです。
 ホームスクーリングにおいて、とくにアンスクーリングの極意は、できるだけ“お金をかけることで、良い教育が実現できる”という幻想から解放されるとこ ろに見えてくるのです。けれども、親がもっていないスキルや技能などは、“外注”でまかなうのであり、優れた教師のためであれば、いくらでも投資ができる のです。公立学校であれば、とりわけ教師を選ぶことはできません。ホームスクーリングにおいては、完全に教師を選ぶことができるという意味は、「親が教育 を他人任せにしない」ところから生まれる知恵なのだと考えます。
 全部の計算をしたわけではありませんが、子どもを学校にやっていた場合の総額と、ホームスクーリングの全期間にかかった費用を比較したとしたら、学校を 10としたらホームスクーリングは1。親の経済的な負担は十分の一です。
 わたしたちの場合は、「16才を過ぎたら、自分の買いたい物、自分が倣いたいこと(自動車運転免許を含む)は、自分の力で稼ぐこと」「20才を過ぎた ら、親を支える側になれるようにする」を家訓にしてきました。親の経済的な支援が子どもの自立心を妨げるというところまではもしかしたら理解できるかもし れませんが、親の経済的な支援は子どもの考える力を劣化させるというところまでは、想像できないかもしれません。
 「教えない」ということは「教育しない」という意味ではありません。
 ホームスクーリングやアンスクーリングをただの放任主義とみるのは、表面的なみかたであり完全な誤解です。
 「どのようにしたら教育費にお金をかけないですむのか」ではなく、「お金をかけない教育が、最良の教育を生み出す」と理解できているのかが問われるので す。
 屋外スポーツや屋外生活をするのに、いろいろなサバイバルグッズを満載の車に乗っていって、食材もなにもかもトレラーハウスでてきてしまうという“お金 をかけた”サバイバルな気分を味わうみたいなのもあります。けれども、学ぶための最良の環境は「良く切れる頑丈なナイフ」以外に何も持たないことでしょう。そして、どのように自然を利用し、食べ物や雨風を防げる環境を創り出せるかを学ぶところにあるのでしょう。
 あえて「欠乏の環境に利を求める」というのも単純で誤解を生みやすい言い方でしょうね。 
 戸塚ヨットスクールみたいな、たとえば「過酷な環境に放り出されなければ子どもは成長しない」という考え方は、たくさんの教育熱心な親御さんの心を射止めました が、おおもとの“人生観や世界観”に進化論的な弱肉強食観が練り込められているのが問題です。動物と人間は違うのです。その違いをはっきり説明できなければ、人を動物扱いしない理由もわからなくなります。