Tokyo 10月21日(日)
         
 「暮らし向きの自慢」をしているのではない・・・と言うけれど
 
 ヨハネ第一の手紙2章16節  「 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。 」

 天からのことばを語るべき説教のなかに、「世から出たもの」が入り込むのは、かなり多いのではないかと思われます。ひとつは、牧師が自分の立っている位置につい て、牧師になる前の、学歴・職歴を「いや自分はそれらのものを塵芥と考えているのです」と言ったとしても、初めて牧師の話を聴いた側からすると、聖書のメッセージではなく、「牧師さんはそんな経歴をもっておられるのですか。」という反応をもつにきまているのであり、なにも自分の経歴を自慢しているのではないとしても、聖書の説明をしながら、なんのことはない自分の自慢話をしているだけに過ぎないということは、少なからずの場合、ありえると考えます。聖書を具体的に説明するための「イラストレーション」としての“言い”なのでしょうけれど、聖書のメッセージの意図とは裏腹のことが具現されてしまうとしたら、本末転倒であり、聖書だけを語り、学歴や経歴については、ほのめかすほどであっても語らないほうがいいのです。
 信徒はそんな自慢話になるようなことを聴きたくないのとは違いますか。自慢話を一番嫌われるのは、誰をあれ、イエスさまではないでしょうか。最初の弟子たちが、「私は猟師として〜をしていました」などと言わないのは、主がそのようなことを一言も言わせないような背景にある人々を選ばれたのではないのでしょうか。猟師は社会的には無学であり、尊敬されるに値するような職業ではなかったからです。日本で教会を紹介するページにさえ、牧師の出身大学とかが書かれているのをたまに見かけるのですが、わたしはキリストを信じているもののひとりとして心底恥かしい。
 米国の教会ウエブサイトを訪問することがたまにあるのですが、(わたしは何でもかんでも米国がベストなどとはいいません)、学歴や職歴を披露している「米国人の教会紹介」に出会ったことはありません。(もっとも、そう言えるほどの数でないのかもしれませんが) キリストよりも人に光りを当てようとする何ものについても愚かなことであるというのが社会通念のひとつになっているからだと考えます。
 きっと、聖地旅行のことも語りたいことのひとつでしょう。
 「聖地」でどれだけ有意義な体験であったとしても、「イスラエル旅行」に行けるようなお金の余裕など、ごくわずかな人しかもっていないでしょう。聖書をより立体的に語りたいというのが本望であったとしても、そのような“聖地体験”はすばらしいのは間違いないとしても、それは普段の説教で「外からは見えない裏打ち」として生かされたらいいのです。そういう意図はなくても、聴いている側からすると「自分は聖地に行けるような特権=地位・ステータス・お金をもっている」と語っていることになるのですよ。
 それに“中東問題”に詳しい方がおられたなら、イスラエルは流血の地であり“聖地”というのさえ好まず、端(はな)から心を閉ざすでしょうね。「聴きたくないなら聴くな」と。・・・いったいそういうあなたにはほんとうに説教をする資格などあるのですか!アレオパゴスで説教をしたパウロが、ギリシャ人の心を引き留めるためどれだけ腐心したか理解できないのでしょう。
 あなたは説教で、ご自分の奥さんのことを自慢したことはありませんか。
 いえ、自分が夫としてどれだけ不誠実であったか=夫として罪深いを語るコンテキストであったとしても、「自分の妻を自慢したい夫」なら世のなかに溢れているではありませんか。言うまでもないですが、良い妻は神からのギフトです。主に心から感謝してください。あなたがどういう意図であるかではなく、聞き手にどのように伝わっていくのかが肝心なのです。
 これも、わたしがこれまで心動かされた説教のなかには一言も、そのような体験談のようなものはありません。いえ、失敗談ですら同じです。自分のおかれていたステータスとか、希な経験とかを語ることがどれだけ聖書の説明に貢献するとしても、聖書そのものからくみ出されたメッセージの“水”で充分なのではないでしょうか。歴史のなかで、ほんとうに優れた名説教に、“聖地体験”などひとことも語られたことはないと考えます。
 牧師の模範に倣え・・・ですか。もし牧師が模範的な生き方をしているなら、「自分に従え」みたいなこと言わなくても、信徒は従ってくるでしょう。それさえ、監督的な教会の特色であり、「牧師がリーダー」という世俗のグループ組織論や会社経営学を「恥ずかしげもなく」導入している結果なのではありませんか。
 世から出たものの“臭み”が全くない、ほんとうにキリストの香りだけが残されるような説教を主は求めておられます。