Tokyo 10月18日(木)
         
 米国におけるホームスクーリングの展開  (7)ネットワークに生まれたいくつかの課題
 
 
先日のセミナーでは時間の制限などがあってあまり語れなかったことを補強させていただいています。
 米国のホームスクーリングが爆発的に増大するようになり、今日は250万人を超えていて、そのようになると、ホームスクーラーは特別の存在でなくなりま す。ホームスクーリングの互助活動ともいうべきネットワークも、各州ごとに100を超えるとさえいわれています。
 これまで述べてきたように、家族がホームスクーリングを決めて、それぞれの家族が自主的に独立して「教育」の主導権をもつということで、新しい「緊張」 のなかに投げ出されることになりました。いずれも、もし子どもが学校に通っていたら体験しない事柄であるに違いありません。
 各地に、さまざななネットワークが造られるようになりますが、そのために最も貢献度が高かったのはインターネットによる情報ハイウエイの影響です。ビル ゲイツのことばを待つまでもなく、「インターネットによって最も恩恵を被った人々。それはホームスクーラーである」というのは事実であり、ネット会議がさ かんにおこなわれるような昨今では、たとえば、あるホームスクーラーの母が、ある悩みをネットでフェイスブックなどで訴えるとします。そうすると、ただち に同じ事柄に関心をもち、さらに自分はこのようにして解決に至ったとか、問題性を別の角度からみるとこのようだとかさまざまな意見が「ネット会議」のなか で展開されるようになります。ただし、このような意志が相互に交換されるような「インタラクティブ」な交流は、ぜいぜい10名くらいが限界でしょう。 100人や200人などの参加は無理であるとしても、“小規模ネットワーク”の意義はここであらためて語るまでもなく、機動性や意志の伝達などにおいて、 きわめて優れているのだといえます。
 1980年代後半において、米国のホームスクーラーからメールがあり、書かれていたのは、「先週、“ハウストレーラ”のホームスクーリングミーティングをひらくという連絡があり、昨日現地に行ってたのだけれど、開催された広い川べりの空き地はホームスクーリングをおこなう家族のトレラーハウス数百台で埋め尽くされていた」というものでした。日本では“ホームスクーリング”について何も周知されていなかった時代です。
 蛇足ですが、わたしも、英語がベースであったのはひとつのネックでしたが、東南アジアでホームスクーリングのカンファレンスのようなものができないかと、5カ国くら いのホームスクーラーのリーダーが集うネット会議に参加してみて、国や言語や文化を超えて、同時に会議形式で討論するエキサイティングな会合を経験しまし た。米国では、同じようなことが、日常茶飯事でおこなわれ、“井戸端会議”から、“小セミナー”に至るまで、各地でさまなざまなネット会議がおこなわれて、ホー ムスクーラーたちの励ましや助けとなっています。
 ホームスクーラーむけの“ネット教材”といったらそれこそ今は数え切れないくらいで、たとえば大学進学をめざしたツールなど探すのにくろうしません。
 ところが、ネットワーク化が生み出す問題もあり、その最大の要素は、“独立性=independency”によるものでした。
 家族が学校制度から切り離されて、独立性をもつことがホームスクーリングの最大のメリット。
 しかしメリットは、「小異を捨てて大同につくと」いう、いわば大人の対応が限りなくできなくなるというデメリットの反面をもっているのでした。「ひとつ の目的のために小さな違いを受け入れ合う」ことができなくなり、たとえばキリスト教でいえば、所属教会の違いとかを受け入れることができないという問題が あるのですが、ホームスクーラーの場合、たとえばこれまで紹介させていただいた課題のなかで、「英才教育をめざすか目ざさないか」「スクールリングかアン スクーリングか」「キリスト者であるかないか」など、事柄を共有して何かの活動をネットワーク化していいくときに直面する課題について、独立性が強いとこ ろでは、何かの問題や緊張が生まれるような共同活動をしなくても、存続そのものに影響を受けないでも、存続できるのであり、「ネットワークのために時間や 労力を費やすより、家族ごとに独自な路線を行くほうがいい」となるのでした。
 もうひとつは、多様性。つまり、ホームスクーラーが100あったら100通りのやり方が存在するというのがメリットなのですが、それが反面、「情報の共 有化」とか「次世代への継承」をしずらい環境を生み出してしまうのでした。自分の子どもがホームスクーリングをおこなていても、それが終わればすべて終わ り、ホームスクーリングから学んだこと、闘いのすえに得たものなど、継承するエネルギーがなくなるのです。ホームスクーリングにおける独立性が生み出す問 題、そして多様性が生み出す別の諸問題のすべてを語るためには、もうすこし別のページが必要みたいですね。