Tokyo 10月16日(火)
         
 米国におけるホームスクーリングの展開 (5) ホームスクーリングがもたらす多様化への糸口 
 

 ホームスクーリング運動創始期において、貢献度の高いRモア氏が「セブンスデーアドベンティスト」に所属の熱心な信徒であることのゆえに、1990年代 において、どれだけの米国人がホームスクーリング実践を考えつつも開始するのに「二の足」を踏んだか想像できません。
 しかし、Rモアさんは、自らの立場であるセブンスデーアドベンティスト信仰を広めるために、あえてホームスクーリング運動に参入したのではありません。 モアさんの著書に「Homeschool burnout」(未邦訳 「ホームスクーリングがなぜ燃え尽きるか」)という非常に優れた本があります。著書には、ご夫人のドロシーさんとともに、せっ かく理想にもえてはじめたホームスクーリングが挫折するに至るさまざまな原因と考え方が懇切丁寧に紹介されています。そして、モアさんは、ホルトを絶対視 しようとして書いているのではなく、子どもがどのようにして優れた学習効果を見いだすのか強く焦点をあわせています。強いていえば、ホルトの流れをくんだ うえで、アンスクーリングをほんとうに習得したときに、親と子どもがさまざまな精神的抑圧から解放されるとみているのです。
 もし、モアさんがもっている「考え方の基本」を正確に理解できたなら、モアさんが、ホームスクーリングで人を引き寄せて、セブンスデーアドベンティスト 信仰への導入としているのではないのは明確であると悟ることができるに違いありません。
 それにしても、日本でのホームスクーリングの紹介のされかたが、あまりに自分のグループの利益に引き込もうとするような、我田引水(がでんいんすい)流 の傾向がみられるにたいして、たとえ紆余曲折があったとしても、J・ホルトやR・モアの活動は、その公平さと純粋さにおいてずっと記憶されなければならな いのではないかとわたしは考えます。
 孤軍奮闘していたホルトへの賛同者となり、闘いの糸口を切り開いた開拓者として、子どもたちのためにより良い環境を願った隣人愛において、所属している 信仰の背景は異なっても、モアさんの役割は忘れられてはならないのです。
 米国の場合、Rモアさんの活動は「種まき」でした。やがて、すべての米国人に認知される教育方法として確実に実を結ぶようになったのですが、その爆 発的発展の“糸口”となったのは、グレッグ・ハリス牧師や、クリストファー・クリッカ弁護士といった伝統的保守的プロテスタントからの発言であり、それに ラッ シュドゥニーなどの改革主義の神学者らがホームスクーリングを支持する積極的な発言をおこなったことや、M・ファリスらHSLDAの弁護士らの活躍によ り、裁判での合法化運動から生み出されていったところにはじまったといえます。
 さまざまな思想や信条を背景にしても、ホームスクーリングが可能です。
 米国ばかりでなくどの国でも、「プロテスタント聖書主義に立たなければホームスクーリングできない」というのは正しくありません。けれども、現在、米国 でホームスクーリングをおこなう家庭の80パーセント以上が、信仰上の問題を克服するためであるというのは特筆すべきであり、とりわけそのなかでも、学校 教育での進化論の影響を避けるための最も効果的な手段とみたからでもあります。
  余談としてですが、M・ファリスさんは、もし弁護士になっていなければ、おそらくバプテスト系のキリスト教伝道者になっていたでしょうね 。弁護士と してきわめて優秀なのでしょうけれど、そのキリストを愛する心はこの上なくすばらしい。

辻井伸行さんのラフマニノフ
 コンチェルトNo3。やはりすばらいしですね。1音1音丁寧に、音が譜面通りきわめて精緻でありつつ、しかし決して技巧そのものに溺れず、作品の真意が 浮き出るような演奏がなされていました。おそらく“盲目ゆえの賜物”とでもいいますか、特殊能力が備わっておられるようですね。
 わたしにも、テノールの荒垣勉さんの生活介助をわずかな期間お手伝いしたときがあり、新垣さんにも、目の見える人には備わっていない、特殊な能力があ り、たとえば、耳で聞いただけでアルハンブラを全部完全に弾けてしまていました。驚くべき才能です。彼がもっていた能力(いろいろありますが)の一つに、 足音だけで、その人がどんな人なのかをほとんど正確に言い当ててしまうというのがありましたね。自己防衛本能というのだけでは片づけられない、特別な能力です。新垣さんや辻井さんにおいては、目が見えないことは絶対にマイナスではなく、とてつもない“神から与えられたギフト”なのでしょう。辻井さんの演奏は、AKBなんとか で荒んでしまった日本人の音感を、“健全化”するのにどれだけ大きく寄与していることでしょうか。おそらくそれさえ結果として、派生したことに過ぎませ ん。辻井さんの演奏は、作家の原点を蘇らせることができます。おそらく彼の演奏にたいして、一番満足しているのは、作曲家のショパンやラフマニノフ、ベー トーベンであるに違いないと確信しています。辻井さんがバッハを弾く日がくるかどうかわかりませんが、おそらくそんな日が来たら、演奏そのものが宝物で す。“生演を聴けるなら、お金ならいくらでも出す”みたいな御仁が現れてもおかしくないですね。
 いえ、そんな人、日本ではなかなかいないと思うのですが、欧米ではきっとおられるのではと。