Tokyo 10月13日(土)
         
 米国におけるホームスクーリングの展開(2) フェミニズムとホームスクーリング

 貴族の教育を一般に広めるようになった次の段階にみえてきた「緊張」は、フェミニズム運動からの攻撃でした。
 米国のホームスクーリング運動の担い手の一人、メアリ・プライド(Mary pride)さんによる The Way Home: BeyondFeminism,Back to Reality(邦訳なし 家庭への道〜フェミニズムを超えて家族のリアリティを回復する)が1985年に出版され、再販を重ねていて、今も読まれ続けているとみられます。もともと、プライドさんは、女性解放運動家であったところ、ホームスクーリング運動との出会いで180度方向転換をして、本書は、考え方がどのように変わったかをしめす体験談のような意味もあります。
 米国のホームスクーラーにとって、やや堅く言えば「理論武装」が必要だったのでした。つまり、ホームスクーリングをはじめて女性が家に引きこもるのは、女性解放の時代の流れに逆行するのではないかという批判でした。子どもを学校に預けないということは、子どもたちの“面倒”を母親がみることになるのであり、共稼ぎを余儀なくされている家庭だとしたら実現不可能ではないか・・・。女性も男性も区別なく社会労働にかり出される時代がいったい良い時代なのかという問題と、共稼ぎの家庭が生み出すたとえば「鍵っ子」(家に帰っても親がいないので家の鍵をあけて、自分で夕食をとらなければならない)が増大するという社会現象がみられ、“社会問題”といわれてもいたのでした。
 ホームスクーリングをはじめる段階で、“教育費”がかなりスリム化されるため、教育費を捻出するために母親が外で仕事をするという状態そのものを根本的に見直す必要に駆られると考えます。教育費が限りなくゼロに近くなるため、経済的なスリム化が実現できるということをふまえた生活設計をおこなうことが可能になります。
 子どもが6才から8才くらいまでの場合、母親が共に生活するなかでホームスクーリングをおこなうのが理想ですが、日中の時間をすべてをホームスクーリングに費やすべきだという考え方は、スマホなどで常に連絡をとれる状態におかれていることを前提としてですが、むしろ積極的に子どもだけの時間が必要な部分もあると考えるべきでしょう。
 子どもには「一人になる」とか「孤独の時間」が貴重です。むしろ一人になれる時間の大切さやその必要性は、学校で過ごす子どもたちが実感しているに違いないと考えます。一人で何かに集中したり没頭したりすることのできる時間。そういうと、決まって、「親の目の届かない場で過ごさせるのは心配」とかいわれそうですが、反対に「ではホームスクーリングとは、24時間子どもを監視するような教育なのか」と問わなければなりません。大切なのは、ホームスクーリングによって親子の信頼関係が構築され、やがて自分の時間や能力の管理ができるようになることです。幼年時代を過ぎた学齢期の子どもたちにとって、それは決して高いハードルではないのです。
 家庭のなかで、「考える時間を与えられていない」学校の時間から子どもたち本来の時間を取り戻し、親子がゆっくりと流れるのを楽しみながら、いろいろな分野で知的冒険に挑戦できるのが、これもまたホームスクーリングの醍醐味であるに違いありません。
 ちなみに、プライドさんの The Big Book of Home Learning 4 volumesは、米国でホームスクーリングを始めようとする家族にとって全体の鳥瞰図(見取り図)のような情報源を与えてくれています。米国社会のコンテキストで語られていて、異文化でどれだけ有効か確信がもてなかったため、これまでホームスクーリングのセミナー等では紹介しませんでしたが、本書には、どの大学が受け入れてくれるかとか、就職問題の解決にむけた情報とかが満載です。家庭の主婦。ネットワークのリーダー、そしてホームスクーリングで子どもを育てる普通の母親による仕事とは思われないくらいの超大作。プライドさんも紹介していますが、アベカ出版の教科書は優れていると考えます。
 その点は、わたしも同感です。なんだかんだいっても、アベカの教科書はホームスクーリングをおこなう米国の家族にとってぬきんでた道具であるのは間違いないと考えます。・・・ボブ・ジョーズ大学のものも優れているとは思われますが、大学の一部門としての出版事業ではなく、アベカの場合は、最初からスモールスクール(小規模教室)むけに書かれ、しかも聖書信仰を土台としているとなると、ホームスクーラーとしても一目おかなければならないのは間違いありません。