Tokyo 10月3日(水)
         
  アージックというクリスチャンによるホームスクーリングネットワークを立ち上げてから、すでに15年以上経過していますが、クリスチャンベースの考え方を 基礎にしているものの、ホームスクーリングそのものは特定のキリスト教を含めて、特定の宗教や信条と結びつかなければならないというものではありません。
 どのような思想・信仰を背景にしても可能であると考えます。
 ただ、以下の3つの点を活動の基本としてきました。
 第一は、子どもの教育を他人任せにせず、親が潜在的にもっている教育力を大切にするという考え方です。具体的にはスクーリングをおこなうかアンスクーリ ングかは、本質の問題ではなく、個々の家庭毎のバリエーションに属するでしょう。教材をつかうかつかわないか、カリキュラムをつくるかつくらないかも個々 の違いに属します。“アンスクーリング”はすばらしい考え方ですが、それだけを唯一の方法とみることはできないのです。子どもが12〜13才くらいに至る までの時期には、“アンスクーリング”を取り入れたほうがベターであるという提案は、可能なかぎり取り入れていただけるほうが良いでしょう。家庭を土台と した教育という意味は、たとえば塾や家庭教師そして、学校のあるプログラムを排除することを意味していません。他人任せにしないという意味は、教育にかか わるすべてを親が引き受けるという意味ではないからです。親が子どもの専門家です。しかし、特定のスキルを訓練するために、塾で学ぶとか家庭教師をつける というのはホームスクーリングでもありえるのだと考えます。けれども、“アンスクーリング”が理解できるのはすばらしいことであり、“一歩先を行ったホー ムスクーリング”とみることができると考えます。
 今回は、このあたりを紹介したいと願います。そうなると、結果 として、表面的には「教育を与えない」という考え方を応用することにつながりますが、実は、それがインターネットの時代において、現代教育学の最先端でも あるのです。なぜなら、「答えを探すのが教育のプロセス」なのであり、「最初から答え(解答)が存在するような教育の教え方は“洗脳”。洗脳が悪いという 意味ではなく、社員教育等は洗脳。子どもの潜在的な力を引き出す意味の教育とは呼べない」 からです。
 第二は、家庭の独立ということです。
 教育にお金をかけると、良い教育が実現できるというのは幻想です。そして、学校の問題点を認識するのは大切ですが、既存の学校と対立するのがねらいでは ありません。ホームスクーリングと学校が共存というのもありえないのですが、だからといって、学校と敵対心をあらわにし、対峙しているとみるのも正しくな いのです。
 けれども、学校教育をホームスクーリングが補完しているのではありません。学校からみると、ホームスクーリングを学校への家庭サイドからの補強としてな ら存在してもいいとみえるかもしれませんが、そのとらえ方は間違った方向を示します。
 学校のすべての縛りから解放されているというのが、スタートの前提となります。行政との関係は良好であるのが望ましいのですが、認可を受けてから始める ものでもありません。
 第三は、わたしどもがホームスクーリングをはじめた最重要の目的でした。どのような思想信条があってもホームスクーリングが可能というのは確かなのです が、一方で、聖書に従って、キリスト中心の教育を実現することを願うとき、ホームスクーリングはクリスチャンスクールより優れていると考えます。家族の独 立性は尊重すべきですが、同時に、クリスチャンの信仰復興運動の一つであるとみることも可能です。それは、学校教育が、子どもへの信仰継承が妨げられるよ うになる“最も大きな離反装置”であるとみるからです。
 ホームスクーリングをしなければ信仰の継承がおこなわれないというのは極論であり、現実にも正しいとはいえません。学校教育を受けてもりっぱに信仰継承 しているご家庭も多数おみうけするからです。けれども、とりわけ米国において、キリスト者の立ち位置から、聖書に示された天地創造や、神の摂理的統治の考 え方を学校教育によって破壊されなくないというのは、ホームスクーリングをはじめるときの大きな動機となっているのでした。親のもつ信仰を、子孫に継承し たいと願うとき、ホームスクーリングは、これまで非常に優れた足跡を残してきたといえます。