Tokyo 10月2日(火)
         
  ホームスクーリングセミナーが来週月曜に迫り、あまりにたくさんお伝えしたいことがあって、いったい、どうやって話題をスリム化するかに悩んでいます。そ んななか、ひとつはアメリカにおけるホームスクーリングの歴史から学ぶことがとても多いのですが、「教育をアメリカナイズすること」ではないというのは大 切なのでした。いまやホームスクーリングは米国ばかりでなく、とくにアジア地域で取り入れられ“人気のある教育方法”とされるようになっているからでもあ ります。
 
 ∬「教育のアメリカナイズ」ではないし、「家庭を学校化する」ことでもない∬
 やや否定的な表現ですが、ホームスクーリングとは、家庭がベースとするのであり、当然のこと、「家庭を学校にするのがホームスクーリングではない」とい う次のポイントにあたります。親だけで子どもが育てられるのか、個別の課題として、集団のなかにおかれるときの切磋琢磨による訓練や、習熟度達成のための テストはどうするのかなど不安材料といえなくもありません。親が子どもを学校に入れるとは、集団のなかでの訓練させるとか、習熟度をどうのという前に、子 どもの生活を、義務教育期に入ったところから、完全に学校に“丸投げ”しているのだと気づくことです。教育について明確な判断や自覚もなく、みんなそうし ているからだけというのは大半なのであろうと考えます。
 家庭を学校化するのではないのだとしたら、問われるのは「子どもが教育されるときの原理」とか「子どもが育つときの原理」をどうとらえるかが肝心なこと で、教科書をどうするかとかよりも、実はそれが最も基本的な事柄なのではないでしょうか。
 子どもは、遊んでいるうちに、日常生活において必要な知識は身につけているのだといえるでしょう。ところが、「数学とか英語は大人が教えなければ、子ど もが自発的に学ぶことはない」という、これも学校信仰によって植えつけられた信念のようなものが残るのです。
 可能なかぎり、数学のおもしろさを伝えられたなら良いでしょう。けれども、たとえば九九を何歳までに言えなければならないとかは、少なくともわたしたち の場合、考えませんでした。長女も病院で仕事するのに、加減乗除をフルに応用して仕事をしているのですが、わたしがそのために訓練を与えた記憶はありませ ん。あえていえば、その仕事に就職するために、本人が独学で身につけたとだけはいえます。長男も、ソフトプログラムの本を数冊独学した後、いまは起業して 仕事をしているのですが、プログラム言語はすべて独学で身につけました。
 学年別習熟目標という、文科省が学習指導要領で定めている事柄から解放されるというのは大きな課題です。たとえば、一年生で学んでおかなければならない 漢字とか、中学生になるまで習得しておきたい漢字とか。ホームスクーリングにおいては、そのような縛りから一旦解放されなければなりません。ホームスクー リングを実践してみた経験からいえるのは、文字はどのような言語でも、学ぶための動機がはっきりしてきた段階でたとえば、子どもの体から大人の体に成長し た15才過ぎの時期において、小学生で学ぶべき事は、ものすごく短期なうちに集中して学ぶことが可能だということです。それまでは、かのレイモンドモアが 昔に指摘していた事で、記憶した内容を検査したり、テストしたりするのは全く不要でした。
 英語を使うのは、学習指導要領に従った単語を全部暗記していると可能なのではないはずであり、学校で学んだ英語らしいものをほんとうは全部忘れて、ゼロ から“生きた英語”を学ぶところから始められるべきなのでしょう。英語を学ぶ必要がないのではなく、学び方の工夫が必要なのですが、それ以前に、たとえば 子どもたちが英語を学ぶ意欲をおこさなかったら、そのままでいいのかと思われるでしょう。
 「英語はこれからの時代に絶対に学んでおいたほうがいい」と説得するのがホームスクーリングにおける親の役割なのではないのです。親の役割は、生きてい くための知恵として、数学や英語や科学的素養、社会学的素養、歴史学の素養についての必要性を伝え、子どもたちに動機付けがあたえられたら、そのために 「背後から追い風を吹かせてあげる」くらいでいいと考えます。
 プログラミングは、英文法や数学の素養が必要ですが、プロムラマーになるかどうかわからないけれど、将来そうなっても困らないように数学を学ぶというの ではなく、本当に数学を学ぶ必要性が生まれたときに始められたほうが、はるかに効率がいいのだというのがわたしの場合の経験値です。
 わたしが通った中学校には、ブラスバンド部がありませんでしたが、音楽室にあったトランペットが吹きたくで、そして自由に演奏できたらいいと考えて、必 死になって、“トランペットの運指法”そして“楽典”を学びました。もちろん、すべて独学です。
 それゆえに、モチベーションがものすごく大切だと確信しています。
 いえ、「100点をとりたい、自慢したい」「東大入学してみせて、みんなに自慢したい」というのもひとつの動機かもしれませんが、それはものすごく貧相 な目標に見えてしまうのです。
 受験英語という“ナチュラルな英語と全く別の英語みたいなもの”を詰め込まれるより、いきなり英語しか話せないところに投げ込まれて、必死になってコミ ニケーションできるようになるのが効果だけからみれば圧倒的にいいのではありませんか。・・・・。
 いろいろ、わたしの場合はクリスチャンの立場で、日本で、ホルトの提唱したアンスクーリングの優れたところを継承した例として紹介できると思われます。