Tokyo 9月30日(日)
         
 ア リア「誰も寝てはならぬ」
 言わずとしれたプッチーニの名作、ツーランドット第三幕。カラフ役による圧巻のテノール歌唱が印象的な作品です。
 ハリウッド映画でもバックグランドにつかわれることが多く、The sum of total fear「邦題・トータルフィアーズ」のサウンドトラック や、インポッシブルシリーズ第五作 Rouge nation では、音楽ばかりでなく、オペラの劇場内部そのものがストーリーに組み込まれていました。
 パバロッティなどによって、アリアの部分だけを演奏されるのをきいてみると、いやはや、さすがにパバロッティの声そのものには感動ですが、シナリオとは いえ、謎解きを解けなかったら殺すという残酷な中国の女王がくだす命令で「誰も寝てはならぬ」。見知らぬ者の名がわかるまでは・・・とか北京では・・とか 限定されていたとはいえ、なんとも残酷な命令が下された設定でした。紫禁城で、西太后がいたから、現実にあったかのかもしれないとかいろいろ想像しますが 残酷もここまでいくともはや狂気。何が女王を狂わせたかのかとか、こんな残酷な女性を奥さんにした夫の後日談はとか、勝手に想像してみるのもひとつの楽し み方でしょう。狂気の行動をベースに、豊かな楽曲としてつくりあげるプッチーニの才能もまた優れていました。(もっとも、アリアの部分は、プッチーニの死 後加筆されたものだとのことですが) いずれにせよ、この歌からオペラそのものに病みつきファンになった人がいてもおかしくないような楽曲でした。


ヨハネの福音書通読中 第7章

イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。「あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。 4    自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行なう者はありません。あなたがこれらの事を行なうのなら、自分を世に現わしなさい。」 5    兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。
 
 
 兄弟たちは、身を潜めているような主イエスの行動をみて、隠れてばかりいないで、もっと堂々と自分を世に問うべきだと提案したのだとすると、“イエスを 信じていなかった”というより、あまりよくわかっていなかったけれど、イエスのことへの“思いやり”から出たことばなのではないかと一読の感想。ところが 聖書記者のヨハネは、「兄弟たちもイエスを信じていなかった」と、兄弟たちの提案を信仰から出ていないと断定します。
 「僭越ながら、自分のわかっている範囲で提案させていただくとすると、君のためには隠れているのは良くない。もっと堂々と世間に自分の力を知らせてやれ ばいいのだ」というのは、たとえ親身になった心から出ていたとしても、兄弟であることの慣れ親しみがあったゆえに、ほんらい踏み越えるべきでない一線を越 えていたとみることもできます。もともと、主の地上での業が“力”“影響力”を見せつけたり誇示するのを意図しているのではないとしたら、主イエスにたい する曲解ともいえる考え方が根にありそうです。
 自分は良かれと思っていった“親切”が、相手にとって最も不適切になってしまうという例はいろいろな場面でみられるでしょう。
 不登校になった子どもにとって、“学校に行く”のは“死んでもいや”なのに、親が自分の学校信仰から逃れられずにいた場合、学校に通えるようになること が子どもにとって最善と考えて試行錯誤します。学校関係者も、学校復帰しか道筋を提案できないために、親は再登校を前提に子どもたちを動かそうとするので すが、「子どもの心から遠ざかる」どころではなく、子どもにとって最悪のことを言っていたという場合に似ています。
 たとえば、兄弟ではなく、弟子たちの一人だったとしたら、主イエスへの対応は、「自分たちにはわからないところがあるのだけれど、きっと意味のある大切 な行動に違いない」と自分の限界を踏まえた言動を選んだのかもしれません。
 肉親であるとか身内であるからこそ「理解できている」のではなく、身内であり、“よくわかっている”と思いこむところから出てくる無理解について、承知 しておく必要があるでしょう。子どものことについていうと、だから他人に任せたほうがいいというのではないのですが、子どもの成長は全部親が仕切るとか、 自分が産んだ子なのだから、他人がわからないところもわかっているというとらえ方は、「子どもを育てておられるのは主である」というところで、一旦立ち位 置を変えてみる必要がありそうです。
 「よくわかっている」と思い込んでいるだけであり、ほんとうは、主イエスについては、自分は無知でわからないところが多い。とうぜん、身内であったイエ スについてもかなり分かっていると思っていたとしても、わからならい未知の部分が多い、いやいや!あの時の提案は、ほとんどわかっていなかったと理解でき たとき、主イエスの兄弟たちも、信仰の入り口に入る時期が来たとされるに違いありません。


 それにしても犬HKの台風情報だと言われそうですね。車が飛ぶだの木が倒れるだの、いかにも“盛りすぎ”です。