Tokyo 9月17日(月)
         
 現場が空けで、時間ができたので、youtubeでクラシック音楽のピアノ演奏を検索していたところ、辻井伸行さんの演奏が心に留まり、ショパンやプロコフィエフなどに聞き入っていました。ショパンは、耽美的というか感情が勝っていると聞こえてしまったというより、おそらく技巧的な楽曲をミスタッチなしに演奏するのを優先した演奏家が多く。いえ、たぶんそうでなくても、非常に高度な演奏技巧を要求される曲なので無理もないのでしょうけれど、バッハのようにいつでも聴きたくなるのではなく、“音を楽しむ”ところに留められていたからだと思われます。
 辻井さんの演奏に心を引かれるのは、“演奏技巧”を飛び越えた、たぶん作曲家が曲をつくったときのハートに肉薄しているところから出ているのではないかと思わされます。どの作品も高度な演奏技巧が要求されるのでしょう。ショパンがどのような心で曲をつくったかまではわからないかもしれません。バッハは敬虔なルター派プロテスタント信徒としての背景からにじみ出していると理解できるでしょう。
 ところが、もしかしたら、辻井さんの演奏は、作曲家であるショパンが曲に込めた表現したかった魂に肉薄できる希有な演奏なのかもしれないと思わされました。
 それはプロコフィエフについてもいえます。
 若い頃から、わたしは、現代音楽のジャンルに入るプロコフィエフは、よくわからない難解な曲と思っていました。
 辻井さんプロコフィエフ演奏の音むこうには、なんと!自然の山や海や水の上、水の中といった生きた美しい絵が浮かんで見えるではありませんか。
 辻井さんのラフマニノフも、これまで聴いたことのない、すごく新鮮な音楽を聴いているという印象です。
 おそらく 「日本人すごい・・・」とか「全盲なのに・・・」とかいう評論のアスペクトもありそうですが、日本人とか盲目であるというとかよりも、演奏家の才能として、作曲家の“意図の原型”にまで肉薄してみせてくれるという、世界でも希に見る名演奏家があらわれたというのは間違いなさそうですね。どうやら、辻井さんの演奏を通して、これまでわたしのなかではずっと“お蔵入り”だった現代音楽の“お宝”を発見するようになりそうです。