Tokyo 9月11日(火)
         
 い ろいろな“心配事”を先取りして、将来に受けるかもしれないリスクやダメージを最小限にしておくという考え方を徹底すると、保守的になり、生活にドラス ティックな変 化をもたらすかもしれない選択をしなくなる傾向がみられるでしょう。
 おじさんがガラケーから思い切ってスマホに変えるときの決心ができない・・みたいな・・・。いえ、あまり良い例とはいえないかもしれないですね。(笑)
 聖書を素直に読むと心にとまる記事があり、それはキリスト者にとってさえ、現実離れした“究極的な生き方”とみられるかもしれません。
 主イエスが示されたのは、何を食べるかどこに住むか何を着るかなどについていっさい気に留めない「その日暮らし」のような生き方であり、、将来への不安 だらけの世相において、むしろ常識離れした生き方であり、“特権”とさえいる生き方なのでした。
 どんなに裕福になっても、それによって永遠の命を買い取ることはできません。
 人が死の問題をドラスティックに解決し、永遠の命についての完全な希望をもてるのは、キリストが地上でおこなわれた一方的な業によります。それ以外にありません。こちらから熱心に頼んでそうしてもらったのではなく、いろいろな善行を重ねた報いとして永遠の命を受け取るのでもありません。
 ほんとうは明日の命はどうなるのかわからないでしょう。
 そんなことあまり考えたことのないですか。
 「明日の朝にも、心臓は絶対動いている」という保障はどこにもないのであり、すべては過去の経験則からの憶測に過ぎません。たとえば、明日のことについ て心配になって、どれだけお金を積んだとしても、それで心臓が必ず止まらないという保障にはならないのです。人からすると、勝手に動いてくれているといえ るでしょう。しかし、真実は、「人体のすべての機能は、創造主の人への恩恵による」のであり、人を極みまで愛しておられることによります。
 人の命とはどれだけ、恩恵に守られていることでしょうか。
 命を与え、そして命を取られるのも全能の神によります。
 もともと、人の手は命について何一つ恣意的な作為を加えることはできません。
  主イエスが山の上から民衆に語られたことばを心に留めたいのです。

 26    空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたが たは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 27    あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 28    なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 29    しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 30    きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょ うか。信仰の薄い人たち。 31    そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 32    こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 33    だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 34    だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
 
 将来の不安を取り除くためのたとえば人の案出した「保険制度」に対抗しておられるのではありません。蔓延している「老後不安」を解消するための蓄財など に反対しておられると聖書を読むのも正確ではありません。それに、“ホームレスこそ最高の生き方だ”とかいわれているのでもありません。
 優先順位として、「何を食べるか」「どこに住むか」「何を着るか」についての心配事を優先させる必要はないのであり、神が人のことをどれだけ心に留めて おられるか悟って、「すべてを与えてくださる神」への感謝をもつことができるように現実を動かしてくださるという信仰=神に信頼せよと教えている箇所なの でした。心配事はどれほどお金を貯めて、どれほど高額な保険に加入したところで根本的には解消しないのです。すべてを創造し、すべてを支えておられる創造 主が心に留めてくださり、さまざまな方法で不安そのものを解消されるために日夜働いておられるというのが聖書、とりわけ旧約聖書の荒野におけるイスラエル の歴史のなかに示されているのでした。