Tokyo 9月8日(土)
         

 ホームスクーリングについていえば、もし政府が“補助金を出す”などと言い始めたら、すでにホームスクーリング全体について網をかけて、一網打尽に取り締まるような時代をむかえたことになります。子どもたちを公立学校に入れないというばかりではなく、家族ははじめから経済的な自律を基礎にしなければなりません。
 米国におけるミッションスクールのへの“助成金”は、もっぱらミッションスクールの創立精神であるキリスト教を骨抜きにするために機能しました。プリンストン、イエール、ハーバードも、もともと神学校としての創立理念をもっていたにもかかわらず、政府からの多額の補助金は、「政府への批判を許さない」体質を醸成し、ミッションスクールの体質さえ骨抜きにする機能をもつようなった個々の具体例をここではいちいち紹介しません。
 それでも、ハーバード大学は、私学としての精神として、政府からのすべての補助金を拒否してきたという歴史をもちます。すなわち、卒業生たちが、大学を支えるための資金面でのバックアップを強力に継続してきたという歴史なのでした。これはBJU(ボブ・ジョーンズ大学)など、経済的自主自営の特色をもった保守系プロテスタントが数多くあり、「建学の精神を維持するため、学問の自由を確保するため、政府や財団など外部からいっさいの経済的支援を受けない」という立場を現在も貫き通しています。
 米国のホームスクーリング運動も、政府からの“支援”を受けないとうところはきわめて明確です。それが、ホームスクーリングの独自性を損なわれないための基本だと考えているからです。
 政府の働きと機能を受け入れつつ、教育は政府の戦略から完全に自由でなければならないと考えます。それは無政府主義に基づくのではなく、たとえ補助という名目であったとしても、補助というのは体の良い「偽装」なのであり、政府への批判を許さない教育をさせるのが本当のねらいなのでした。政府への批判を許さない体制を最も先鋭化したものが“共産主義国家”であったとしたら、日本の場合、学校制度そのものが、子どもたちから“批判力”を失わせるような共産主義思想に根ざした内容となっているのでした。どうみても英語教育を本気になって与えているとは思われないでしょう。戦後すぐにGHQの占領政策の一環として、「日本人の英語力を向上させない」というものがあったとされます。点数が良いか悪かは、個人のもつ能力や潜在的な可能性とは全く無関係なのに、たとえば人を差別することにむけた洗脳が公認されています。 
 「自由な教育の確保」という意味は、教育を他人任せにしないという考え方に結びつきます。
  現実は、子どもを学校や塾や家庭教師など、他人に預けるための“資金調達”のために親が東奔西走しているのでした。
  親は、もともと子どもを育て、教育し、社会に送り出せる潜在的能力をもっているのですが、“福祉”の名のもとに、親の教育力を骨抜きにしてきたというみかたも可能です。
 それはそうとして、以下は、私の経験から確信しているところです。
 (1)ホームスクーリングは、子どもの能力が引き出されるための最善の方法である。
 (2)ホームスクーリングは、最善であるにもかかわらず、教育への経済的出費を最低眼におさえることが可能になる。
 (3)ホームスクーリングが生み出す結果は、親の受けてきた学校教育とも、親の経済的な状態にも全く依存しない。