Tokyo 9月2日(日)
         

 人に褒められたい。人に褒め称えられるようになるために仕事をするとしても、大切なモチベーションとされるでしょう。「人から褒められるような仕事をせ よ」とか。ノーベル賞とか、金メダルとか。
 けれども、人から褒められるために仕事をして、褒められなければ自分がどういう仕事をしているのか判断できないというのは、認識が劣化しているのではな いかと考えます。良い仕事をして、結果として褒められることがあったとしても、自分が納得のいく仕事をすればいいのではないでしょうか。それで人が認めよ うが認めずに無視しようが勝手に褒めさせておけばいいのでしょう。
 人から褒められても、褒められなくて無視されても、良い仕事ができるというのはなにもキリスト者だけの特権ではないとはいえ、いつでもどこでも主なる神 が隠れて見ておられるという認識にたてば、人からどう評価されるかなどは(収入などに直結する場合があるとしても)どうでも良いことになるのです。それは しっかりした信仰をもつキリスト者の強みです。
 褒められていい気になているうちは半人前かそれ以下。ほんとうに仕事ができる人は、人から褒められてもいい気に成らず、人から無視されてしまうとして も、卑下せず、自分の納得のいく仕事をこなそうとするでしょう。
 
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 機能性だけ考えたら、1000円くらいかそれ以下の腕時計と、数百万もする腕時計の違いは全くないのでしょう。あえて、高価な時計を身につける意味と は、他人に対しても自分にたいしても自己陶酔のため以外ではありません。
 普通の人がつけないような腕時計をしているとか。高級な外車に乗っているとか。すごい豪邸に住んでいるとか。何をもっていたとしても、「持っているもの と自分の価値」を混同するような誤認、高価なものを所有している自分が凄いみたいな錯覚がなければいいのであり、他人がどうこういうことではないからで す。
 もともと人のほんとうの価値は、何を持っているか持っていないかに関係がありません。
 レプタ二枚を献げた女の信仰の重さをキリストはよく分かっておられました。
 周囲のものはわからず、弟子たちさえわかるはずもなかったのでした。
 いえ、あえて“そんな無駄な・・・”とは言わないでおきましょう。人それぞれの価値観に基づくのであり、商売が成立し、そこでお金が動き、税金も発生し て国家を通じて社会貢献しているのであれば、肯定的に受け入れるのがベターなのでしょうから。こんなこと書いていると“嫉み”から出ているのではないかと 誤解されそうですがそうではありません。