Tokyo 8月10日(金)
         

  もう成り行きだから、誰がなんと言おうとも、逆戻りできないところに来ているとは思わないで、やはり少しでも可能性があれば、日本国のために百害あっ て 一利なしのようなオリンピック・パラリンンピックを中止すべきだと考えます。
 福島の原発事故の処理にこそ、知恵とお金をつかうべきであり、わずか2週間のスポーツエベントに、メダルを何個とれるかなんとか、おそらく一部の人々 に感心があるのかもしれませんが、日本国民全体にとってはほとんどどうでもいい話題ではないでしょうか。
  今は、オリンピックを中止にすべきという声は1パーセントもないかもしれませんが、もし、これが10%を超えたら、推進勢力も無視できなくなり、本気でつ ぶしにかかるでしょう。
 しかし、もし開催反対の声が50%とはいわなくても、せめて30%〜40%を超えるようになれば、中止にむけた議論がはじまるでしょうし、推進派がどれ ほどゴリ推ししたくても、半数を超えたらとしたら、いくらなんでも中止を検討せざるをえなくなると考えます。 
 言論が少数であるかないかではなく、正しいことを勇気をもっていえるかどうか。“勇気”がどのような思想に支えられているかにもよりますが、正しいこと を言うというとき、背景になっている思想は実は相対的な課題であり、どうでもいいとはいいませんが、正しいことを折れないで主張し続けることに力がある と、未来を担う子どもたちに知らせなければなりません。そこにこの国未来がかかっていると考えます。
 メダルを何個とるかなどという価値観がいかに貧弱であるか論を待たないとしても、学校教育が推し進めてきた“価値観”を最もコンデンスしたかたちで表現 したのが“メダル獲得数”にあらわされます。戦中の学校教育では、“ヤスクニの桜の花びらのひとつとなって散り、神となり、天皇にが参拝してくれるのをあ りがたく受けよう”を最高の目標として掲げました。
 オリンピックに出ること。もし出られなければ応援すること。そしてメダルの獲得数に一喜一憂していればいい。そんなくだらない旗振りを未来を担う子ども たちに示すべきではないのです。
 

 10年後の世界を生き 抜く最先端の教育 日本語・英語・プログラミングをどう学ぶか 祥伝社 2018年
 ようやく、日本でも、ホームスクーリングについて正確な評価を示している一般本が出されはじめたという感想です。
 ホームスクーリングの全体像からすると、やはり能力開発にシフトして、評価が偏り過ぎているとはいえ、脳科学者の茂木謙一郎さんと、 科学思想哲学者の竹内薫さんの対談は、ホームスクーリングを“教育の最先端”と断定して、“さすが”とみます。
 すでに米国では、1990年代から、“ホームスクーリングは最も古典的であり、最先端の教育方法である”と言われ続けていたのであり、日本の一般世論が ようやく、最先端に追いつこうしているのかもしれません。
 ホームスクーリングについて語られているのはほんの2ページほど。
 けれども、学ぶための動機付けが優れていると指摘されているところや、ホームスクーリングで育つ子どもたちが良い結果を生み出すことが、親の受けてきた 学歴や経済的なバックとの相関関係がみられないというところも、正確に言いあててます。ここまで真実に触れた言い方をすると変人扱いされるかもしれません が、“出過ぎた杭は打たれない”ということわざが現実味を帯びてきます。
 日本の教育分野全体のフィールドは、まだまだ旧態依然とした学校教育のなかに囲われているのであり、東大信仰が強く、戦後の学校教育を支配して、長く続 く熱病のように日本人の心さえ支配しているようです。
 もしかしたら、“異端”ともみられかねない2人の碩学の徒により、これまで隠されてきたホームスクーリングの“秘儀”があかるみに出さはじめているとい う感じですね。
 いやはや、これは特筆に値します。