Tokyo 8月7日(火)
         
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心が自分と全く1つになっている人々に御力 をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。U歴代誌16章9節

 アサ王にたいして、先見者ハナニが主からの託宣として語ったことば。アサ王の言い分としては“自分はイスラエルの良いことを戦略的に計らってアラム王と 盟約を結んだに過ぎない。それを愚かと言い放つのは許されない”というものでした。アサは主のために偶像と闘うなど数々の名声をあげ、信望も厚かったと推 察されるものの、ハナニの助言を袖にしたばかりでなく、口封じのように牢屋にぶち込みました。

 「周囲にまっとうな意見を言える側近はいないのか」と訝しく思っていました。アサの例からいえば、安部さんの一つの錯誤は自分を王様かなにかのように錯 覚していること。それに、自分のために忠告してくれる人をことごとく抹殺してきたのでした。安部さんへの反旗を翻しているとはいえ、人は多面的であり、全 部悪いことばかりしているだけではなく、(意図していることとは別に)見えないところで、安倍政権が国民のためになっているところもあるのかもしれませ ん。・・・いえ、見えるところは、何ひとつ国民のためにならず、ただわたしが見えないだけなのかと思っているのですが、周囲からの良いアドバイスさえ受け 入れなくなったら、どうみても政権の末期症状なのでしょうね。
 ユダ王国のアサは、このあと、最後まで「主に頼る」ことをせず、自分の戦略と、主により頼むことをせず“専門家の意見”に追従するのみでした。
 ハナニの助言は、今に生きるキリスト者にとっても光を放ちます。
 主のお考えは、「善行を重ねてきた」とか「有名である」とか、今風に「高学歴をもつ」とかは関係なく、人のなかで無名であろうと有名であろうと、ご自分 の心と一つになっている人をみて、その人にご自分のお考えを示されるのでした。
 アサが助言を聴く謙遜さを失ったのは、自分の名声や「主のためにおこなってきたあれこれ」のリストをみての自己満足だったのではないかと思われます。キ リスト者が世にあって“成功する”というのもすばらしい賜物であり、賞賛されるべきなのですが、問題は賞賛を受ける側の心のなかの問題で、ひとつは自分の 業績の全部か一部が自分から出たことである自己評価することで、傲慢の罪が生まれてしまうことでした。世の名声を得ながら、なおも主のみ前に謙遜であり続 けることはなんと困難なことでしょう。
 キリストから信仰が賞賛されている人々は、かなりの数の人々が“無名”です。
 あの僕の癒しをもとめた百人隊長。レプタ2枚を献げた女、ツロ・フェニキアの異邦人女。
 聖書記者は名前を記録している例も数多いのですが、キリストの関心事は、人の賞賛や名声とは無関係なところにあります。