Tokyo 6月12日(火)
         
 バーガミニ が昭和天皇について書いたことは、ほぼ事実であり、沖縄戦において、いわゆる歴史家のいう琉球処分の史実にかかわった根のところに昭和天皇の発言があった のは事実であろうと思われます。昭和天皇に戦争責任があったかのかなかったかというところでいえば、どうして“なかった”といえるのか不思議でなりませ ん。けれども、平成天皇の立ち位置については、ごく普通の市民の感覚を宿しておられ、発言しておられることもまた同時に疑いません。不思議なことではな く、ごく普通の“あたりまえの”ことを言っておられるのです。アベがとてつもなく異常なだけ。
 “聖書の国”英国が王政を残したのにどこまで似ているかわかりませんが、わたしは天皇制廃止論者ではありません。けれども、ひとつはどれほど特権階級を 装ったとしても、天皇家に“ごくふつうの市民権”は存在しないことや、天皇の政治利用が温存されているところからみると、どこまで政教分離の原則が働いて いるのか疑われます。“由緒ある”とされている事柄が、ことごとく神道にルーツをもつのであり、“習俗なので宗教”とは呼べないなどとは言えないからで す。そのような宗教色の非常につよい一族を政治の中枢にかかえている制度について、いったい欠陥はないといえるのでしょうか。
 天皇家を由緒ある古来の家系として尊敬することを残すものの、天皇家のすべての私有財産と“力”を政治から切り離すことなどは時間をかけても達成すべき 事柄なのではないかと思います。天皇家であれ例外なく、ごく普通の市民に与えられている権利と自由がないのは異常だと考えるからです。とくにNHK報道に みられるような「天皇家の弔辞慶事を自分の家のことのように取り扱う」世代はいまやごく限られているのではないでしょうか。「どうして他人の家の結婚式だ の葬式に振り回されなければならないのか」と考えている若人は少なくないのです。