Tokyo 5月27日(日)
         
 「不登校」 についてのマイナスイメージは、何も今に始まったことではないのです。学校に行かないことそのものを何かの障害と呼ぶ傾向は、「非行少年」と呼ばれた時代 もそうでした。人格的な障害をもつからではなく、脳や精神に何らかの障害をもつから不登校になるという言い方が、どれだけ歪んだ考え方に基づいているで しょう。
 子どもたちが学校から“逃げる”状態であると考え直すことはできないでしょうか。もし、火事でもあったら、その場をすぐに逃げ出さなければならないで しょう。逃げるのが正常であり、「矢でも火でも振ってこい」とその場に留まるのは愚かでしょう。
 それと同じように、学校に何らかの問題があって、身に危険を感じた場合、すぐに逃げ出すのが当然なのです。その当然を“当然”と呼ばないのが不登校を廻 る「異常」発言につながるのでした。
 学校が信頼できる場所。一点の曇り無く子どものために最善の場であると信じているという、どこかの新興宗教のような現象が見られ、それは日本独特の社会 通念となっているのであり、欧米諸国や近隣アジア諸国でも、学校に行かないことについて、これほど異常扱いするような国は存在しません。「不登校」を文字 通り英訳することはできないのです。「子どもたちにおいて、何らかの病理的な原因よってもたらされた
学校に行かな い現象」とでも意訳してみてもいいかもしれません。学校に何も問題がないとみなすところでは、たとえば子どもたちが“被曝した”ことで説明したがるかもし れません。被曝の影響は深刻で、子どもたちが健康上の理由から学校に行きたくてもいけない現象がおこるかもしれません。
 けれども、もともと学校のなかの“競争”“いじめ”“高圧的な教育環境”“子どもの個性に不適応なカリキュラム”“点数による人物評価の絶対化”など数 え上げたらきりがないではありませんか。
 子どもにとって居てはならない場所であれば、居てはいけない、逃げなくてはならないのではありませんか。
  すでに、高校卒業程度認定試験が導入され、現在の大学受験は、高校を通過しなくてもチャレンジできるように制度改正されているのであり、「内申書が悪けれ ば高校に行けない」などという教師からの脅しを怖れる必要はなくなっているのです。
 学校制度に不都合な情報は、たとえ子どもや学生にとって有効であったとしても、あえて流されないようにしているのが、むしろ、日本の情報隠蔽体質という 別の問題なのではありませんか?
 それはそれとして、学校のグランドに放射性廃棄物が埋めてあるとか、給食の食材に汚染された地域からの食材が多用されているとか、政府や行政のレベル で、被曝による子どもたちの健康被害をどこかでしっかりと考えなければならないのではないでしょうか。