Tokyo 5月17日(木)
         
 わたしの家 には、机も黒板も、教室らしいものは何一つありませんでした。
 たた、食卓が、勉強机、クラフトの作業机など、いろいろな役目をもっていたこと。3人の子どもたちぞれぞれに勉強机も用意したのですが、結局役に立ちま せんでした。
  大切にしたことは、親の話を聞くこと。人の能力とは、「聴く」ところからはじまるからです。
 人が話したり、書いたりすることは成長する過程のなかでずっと後なのです。
 ですから、ほんとうはなにも「読む、書く、話す」を同時進行する必要もありません。
 世界の民族のなかには、いまだに言葉はあっても、「文字」をもたない民族もいます。文字がなくてもコミニケーションの上で問題が無かったからででしょ う。
 同じように、ホームスクーリングにおいて、学ぶというプロセスも学校の真似をしないように心がけました。
 子どもたちは自分の興味のあることなら必死になって学び習得しようとします。学年ことの達成目標に縛られる必要は全くありません。“〜年生で習得してお かなければならない漢字”とか中学では“〜年生までに習得していなければならない英単語など、現実の生活とはいっさい関係ありません。ホームスクーリング をはじめた頃の親が、自分のうけた学校教育の影響の下、自分も学校での学び方を学びのための唯一の道と勘違いしていることがよくあります。学習とは、机の 上で、紙と鉛筆でおこなうばかりではなく、いえ、実はそんなのはほんのわずかであり、生活のなかの学び方は、「何をしたいか」「何を達成したいか」に基づ ものが99%です。旅に出るのは一番の学びになると「かわいい子には旅をさせよ」といわれるでしょう。旅をしたいと思ったとき、場所(地図)、時間(生活 の管理)、予算(経済的な管理)、何を食べるか(健康の管理)など、いろいろな学びの要素が含まれています。
 旅は一つの例ですが、ゲームやアニメを、「勉強とは別の役に立たない時間」という考え方も学校の影響を受けています。何がなんでもゲームやアニメが役に 立つとまではいきませんが、考えるための材料はいくらでもあるのではないでしょうか。アニメやゲームを話題を引き出すための材料とはできるのではありませ んか。数学も、必要な学びですが、学校のやり方が全部正しいとは思いません。九九も小学生の時代にやらなくても中学のあたりのほうが覚えやすいこともあり ます。中学校までの勉強であれば、10代の後半からすべてをスタートしたところ非常に短い時間で全部を学び終えたという事例はいくらでもあります。
  教科書を使わなければ「勉強」ができないというのも学校のトラウマです。知識をペーパーに100%再現できなければ、知識とならないというのも、学校 がつくりだした幻想です。
  英単語であれば、普段つかっている日常の日本語のなかに、ごく普通に英単語がつかわれていますので、あとは英語独自の発音を修正して体得するだけで す。最初は単語の意味がわかるだけでいいのです。動詞も形容詞も、副詞も接続詞もみんな名詞の後で覚えたらいいからです。
 肝心なことは、わからないことをそのままにしないで、親子で考えるための時間にしたこと。
 納得できるまで話し合うのも可能です。時間はホームスクーリングでは学校よりたくさんあるのです。
 学校では「よけいな質問はするな」「教師が言ったこと以外、余計なことを考えるな」で留まるでしょう。
 体験談が余計な「自慢話」になるのを好みません。
 けれども、以下はそれを承知の上での“自慢”ネタです。
 娘は数学を学校で一度も習わなかったのに、地域の病院で高度な経理事務を担当しています。長男は、教会の経理を担当しています。計算能力など、パソコン のほうが優 れています。肝心なのは、数学ができるかできないかの能力ではなく、個人の財産と公的財産をはっきりと区別して、家庭教育において、公のものと私の区別、 自分と隣人の名誉と財産を守るという訓練を得ていることが “評価”されているのです。
  もしも高等数学が必要な仕事を目指すなら、必要性があったときから学んだとしても決して遅くはないとわたしは考えます。