Tokyo 5月4日(金)
         
  「日本を愛する」という言葉が、ひどく懐かしく、深い欠乏感さえ覚えるような世相になりつつあります。
 国民の平和と安全と、そして幸福のために心をくだいているような人たちがいてほしいと、これほど思われるような時代はこれまでなかったと思います。
 日本人として日本を愛するのはあたりまえといわれればそれまでなのですが、かなり前のわたしには、これが「汗と血と体液」でつくられた忌むべき悪魔がつ くった虚像であるような印象が強かったのです。
 ところが、いつの日から「民族を愛するということにおいては右も左もない」(一水会 鈴木さんのことば)に共感を覚えるようになった後、安部さんが首相 になった頃からはさらに顕著に、日本国民が民族として存続できるようにという願いを強くもつようになりました。わたしはキリスト者であり、右翼団体とは全 く関係がないにもかかわらず、それほど今の日本国民が、民族として将来存続できるかどうかの危機の瀬戸際に立っているのだと認識します。
 枝野さんや志位さんの演説を、「左」とレッテルをはる世論ももはや過去のものとさえ思われます。対立の構図は、安部さんとその利害にからむ官僚一族の群 れ、創価学会=公明党利権屋にたいして、ほぼすべての日本国民となっているのでしょう。植草さんのおっしゃるように、その背後には米国武器産業の産業カルテルのような巨大組織がうごめいて いるとみることもできます。そういう意味では、ただ打倒安部さんだけではないのであり、ほんとうの意味の正義が復興されなければならないのでしょう。多様 性やオルタナティブの尊重は、成熟した社会でないと実現できないのかもしれません。統一色に染まり「ユニフォームとかエンブレム」に 引きつけられるというのは、日本民族だけではなく、ヒットラーの時代にもみられた軍国主義の傾向なのかもしれません。日本国憲法というのが、そのような国民のな かの成熟した「理想像」を前提としているという意味で、多様性や自由オルタナティブを尊重する民族性は、これから日本国のなかで成熟していくのかもしれま せん。
 現天皇夫妻が安部さんと明確に対峙しておられるというネット情報があり、今上天皇にみられる“民族主義”とは、枝野さんや志位さんの示す方向とほぼ同じ ひとつであるということが確信できるようになりました。安部さんの功績とはいいません。けれども、安部さんがあまりにひどいために、いてもたってもいられ ないごく普通の日本国民のただなかに、天皇ご夫妻がおられるというまぎれもない事実をあかるみに出してくれた功績といえば功績のようなものでしょう。「い ま、おかれているところで、隣人のために自分になにができるかと問い、今できる最善をおこなう」という意味であれば、それこそ、それこそが意図してかしな いでか、わたしの信じているキリストの生き方であるに違いありません。
 その意味で、天皇ご夫妻はすでにご高齢になっておられるとはいえ、「国民の模範」の一画を担っておられるといえるでしょう。