Tokyo 4月27日(金)
         
 板門店での 会談そして共同宣言。
 もともと、北朝鮮という国家の誕生は、日本の日韓併合時代に抗日パルチザンが北の平壌に集結したところに種が植えつけられました。分断化に拍車をかけた のは、日本への留学を終えたいわゆるエリートたちであり、東京大学を中心としてかの「無教会主義」を学び、既存教会を徹底的に批判し、「キリスト教会攻 撃」のための理論的背景を与えました。当時、「東洋のエルサレム」と呼ばれた平壌の教会を破壊したのは、そのような人々だったのです。
  「教会はいらない、ただ聖書だけでいい」といういいかたが、まるで信仰に基づいているかのようにきこえる論法です。
  けれども結局、北朝鮮誕生において、唯物論にたつ反国民政治が国家を席巻するための道を開いたのは一考に値します。
  「教会は聖霊の働きの邪魔である(ブローマン氏)」という論法がどれだけ危険なものであるか。
  見える教会を否定すると、結局、最終的には信仰そのものを死滅においやるのと同じ構造です。無教会系列のキリスト者だからといって、全員がかならず 「見える教会」を否定しているのではないとしても、北朝鮮が生まれた背景に無教会主義の影響があるとすれば、無教会出身のキリスト者であったとしたら、 はっきりとした歴史的な戦争責任を自覚しなければならないと考えます。もちろん、朝鮮総督府と当時のキリスト者の(たとえば田上穰治氏など)関係からいえ ば、戦責は、無教会系キリスト者ばかりにあるのではないのは言うまでもありません。
  文大統領がカトリック信徒であると伝えられています。
  このような思想的背景について、日本で全く顧みられることはありません。どれほどの文化人であれ、個人の信条と、政治行動の関連づけることはタブーで あるかのようです。けれども、韓国のキリスト者らにとっては、朝鮮半島の統一は、それこそが悲願であり、どれほど多くの“祈り”がささげられてきたことで しょう。それが文大統領の心でもあると確信します。
  非常に多くのキリスト者が各地の教会で早朝の祈祷会に集い、隠れた祈りが積み重ねられてきたのです。いえ、大きな歴史的出来事になりそうなので、さっ そく「自分の手柄」にしたい、それこそ安部さんのような人たちが跋扈し始めています。ベルリンの壁が崩壊した数年前、東西統一に疑問を呈する評論家が多数 おられました。“そんなことは実現するはずはない”と。ところが実現した暁に、どれほどの人がこれを自分の手柄としたかったでしょう。
  しかし、神がつくった壁なら取り壊すことは不可能ですが、人がつくった壁はどれほどのものであろうとやがて壊されるのです。朝鮮半島統一が神の意志で あれば、人の思惑を乗り越えて、かならず実現すると考えます。
 今も、「北のパフォーマンス」だとかいう評論が日本の巷に溢れています。「一億総安部化」の兆しなどと文字にすることさえ嫌気がさしますが、残念なこと に、“安部さんは危機を乗り越えた”などというリテラシーの低さが蔓延しはじめているのも事実なのです。
 日本人がものすごく洗脳されやすくなっているのでしょう。知能の劣化をなんでも放射能のせいだ・・・などというつもりはありませんが、わたしのなかに は、もしかしたら、「日本の津々浦々まで創価学会が浸透する」ところまでいって、・・・国家全体が偶像礼拝に支配された結果どうなるか、いくところまで 行った結果、聖書の歴史にみるように一旦滅亡してみないと、日本民族の本当の再生がないのではないかという焦燥感さえ覚えます。わたしは、ややネガティブ マインドに支配されているのだけかもしれません。