Tokyo 4月22日(日)
         
  「ホームスクーリングで大丈夫か?」

 ホームスクーリングをはじめるところで、周囲からの心配の声の筆頭は、おそらく、子どもが学校に行かないと、成長できるのか、学習とか社交は育つのかなど、多岐にわたるでしょう。
 昨今のニュースで、わたしが最も心を痛めているのは、10代の子どもの死亡率が最も高いものが「自殺」だといわれているところです。
 行政のからんだ調査などどれくらい真実なのかが問われるのでしょうけれど、それでさえ、子どもの自殺の多さを隠そうともしません。あまりにも数が多いからです。(一日あたり、全国でおよそ3人といわれています。)
 学校側は自殺の原因は「学校にはない」と必死に学校を弁護するものなのでしょう。けれども、実態からいうとほんとうは「子どもを学校に入れてもほんとうに大丈夫なのか?」と問われるべきでしょう。

 このまま、子どもたちを学校に入れて、はたして自殺するようなことはないと断言できるのでしょうか。
 学校はいつも責任転嫁するばかりで、根本的な改善策を打ち出しているとは思われないので、「大丈夫なのか」と真剣に問わなければなりません。このまま学校に子どもを“丸投げ”を続けてしまうと、「子どもの教育の最終的な責任は、学校ではなく親」と教育基本法を盾にして、言い逃れの道はそれこそたくさんつくるのですが、原因の種になるような要素には、それを改善するような余地は見られないのでした。
 不登校は、自殺予備軍であるとみて、文科省は全国の学校に、「学校カウンセラー」を設置しました。ところが「学校カウンセラー」となるための基本的な資格のところで、子どもには学校外の選択肢はないと設定され、仮に、面接で、「学校に行きたくないといっている子どもに接した場合、どのように応えますか」という諮問にたいして、「子どもが学校に行きたくないのであれば、学校に行かなくていいということも、子どもにとっては大切」などと応えようものなら、かならず門前払いを受けることになるのです。

 学校カウンセラーとは、学校に不適応をおこしている子どもたちを学校に適応させるための役割を担っているのであり、たとえ学校以外の選択肢が最善である場合でも、「学校に行かない」といえるような余地はないのでした。子どもの心理などを学ぶでしょう。子どもが不登校になる心理的原因も学ぶでしょう。ところが、解決策として、きわめて限られた道しか用意されていないのだとしたら、カウンセラーの仕事とは、子どもを学校に追い立てることにしか生き残る道はないのであり、それこそ民間の「フリースクール」に所属するしかないのでした。子どもの話を聴くのが仕事であっても、学校に行きたくないといっている子どもに「学校に行かなくてもいい」といえず、「なんとかがんばって、学校通えるようにしてみよう」としかいえない。それが実態なのです。自殺の動機は、ほとんどが学校がらみだと誰もが認めているというのに、学校以外の選択肢が示さない。それが最も問題なのではありませんか。いまや交通事故による死亡より多いというのに・・・。 

 学校に変化や改革が必要であり、早急の課題だったからこそ、「国民教育会議」なるものが立ち上げられたのではないでしょうか。そこでホームスクーリングのことを語られなかったわけではないのですが、ほとんど一蹴されたような扱いでした。
 国民教育会議による「17の提案」においても、家庭教育のカテゴリーがみられますが、家庭教育のやくわりは、学校教育を補完し、強化するための動員の要素としての扱いしかされていないのです。結果として、高校卒業程度資格認定が実現したのは評価されれるべきですが、戦後の学校体制の枠組みそのものは、一ミリも動かされることなく存続しているというのが実態です。「高度の専門性が要求される」と、ごくふつうの親の目線からはるかに遠いところから、つまり上から目線でしかものごとを言えないような“高度な専門性”だけを人材として集めて、「われわれは対策をたてている」だけのいいわけでしか実効性がないのであり、(やや厳しい言い方ですが)子どものこころの相談など、まともに果たせるはずはなかろうと思われます。

考え方を変えないで、表向きだけ変えた振りをするといういわばパフォーマンス優先のまま「教育利権だけが温存されている」ところで、改革は進んでいるかのようにみえて、むしろ後退しているとされるべきでしょう。子どもが学校で死ぬ事態の改善は、とうてい望むべくもありません。