Tokyo 4月13日(金)
         
 どうせ死ぬなら「ガン」がいい

 近藤誠医師の本のタイトル。ガンによる死亡率が増加し、ガン治療がいまや最先端技術が駆使される時代となっているだけに、ガン治療を あえて受けないという選択肢を示した注目されるべき書でした。
 ところが、たとえば歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが、食道がん手術後の治療によって引き起こされた肺の疾患で亡くなったニュースは、“ガンの手術をしなけ ればもっと延命できたのではないか”という疑念を広範囲に広げる結果を生み出しました。
 アナウンサーの逸見政孝さんも、「悪いところを全部切除する」という病院の方針に従って手術を受けたのです。ところが、大規模な臓器摘出によって体のホ メオスタシスが保持できなくなり、「もっと生きたい」というご本人の意図に反して、48歳の若さで亡くなりました。
 当初から「クオリティ・オブ・ライフを無視した手術」という批判は耳にしたのですが、近藤医師の発言は、これらのガン医療全体にまっこうから反旗を翻し たものでした。
 学校が巨大化し、社会のシステムに組み込まれることによって、人が知識を得る唯一の“装置”であるかのように錯覚されます。そして病院も、病院がもっぱ ら病気を治すために存在しているのであり、医療や薬品によって引きおこされれる“病気”はありえないという偽の情報を社会全体にもたらすようになりまし た。学校信仰や医療信仰が生み出される背景には、学校や医療の社会貢献度の高さを背景にしているものだとして、医療の場合、近代社会からいろいろな病気が 払拭された理由の一つとされるのであり、学校の場合、文盲率の激減を成果としてあげられるのです。学校も同じ問題を孕んでいます。もし、学校は能力を開発 する場であるばかりでなく、能力の低下が生み出され、社会性の劣化が存在すると理解できたなら今の学校でこれだけ多くの子どもたちが自殺に追い込まれるな どという悲惨はおこらなかったでしょう。
 ところが、医療や学校が社会システムにたいしてネガティブな影響をもつ場面について、公的発言が無視されてきたことで、いえ、たとえさまざまな利権が絡 んでいるからと承知しても、事実上の“カルト化”、つまり、新興宗教などにみられる異常な精神構造を生み出すまでになっていることが全く気づかれないよう な事態に陥っているのでした。学校がカルト化しているというより、近代国家が生み出した学校制度そのものが、カルトに翻弄されるのと同じ現象を生み出して きたといえるのでした。
 子どもたちが学校でいじめをうけて、ほんとうに死にそうな状態になっているのに、学校から抜け出すことができず、いえ、親が学校信仰に縛られているから なのですが、ほんとうに悲惨なことに次々と自殺に追い込まれています。それほど学校にこだわるべきではないにもかかわらず、“学校にいかなければ人間にな れない”みたいな洗脳がおこなわれているのでした。
 ガンも病院がなんとか改善してくれるとみなすのも、それはそれで医療への信頼は大切なのですが、近藤さんが語られるような「あえて治療を受けないことに よる延命」を選択できるのかどうかは、とても大きなことになります。
 「なぜ、こんなになるまでほっておいたのですか」みたいな言い方が医療関係者からきかれるとき、おそらく医療が手の届く範囲を超えているかもしれないと いう意味なのでしょうけれど、もともと神の創造の賜物である人体など、人の技術によってどうこうできる範囲など、それがあったとしても、きわめて限定的だ という理解を、(医療を受ける側も、医療を施す側も)基本的な立ち位置にしていなければなりません。
 なぜでしょうか。
 医療によって殺されないためです。
 同じように、子どもたちが学校によって殺されないために、親が先手を打つべきです。