Tokyo 3月29日(木)
         
 安部晋三という必然
  安部さんのような巨悪に固まった政治家を生み出してきた背景はいったい何であるのか。まさに日本の最も“みっともない”恥部をさらけ出しているようなものです。
 戦後レジームという言い方をすれば、たとえば米国による支配があり、これはなにも戦後にはじまったことではなく、ぺーリーの黒船大砲外交からはじまったともいえるのでした。つまり、ひとえに決めるは自国民の民意ではなく、米国によって描かれた青写真という先決事項に基づいているという認識であり、“自主憲法制定論者”にみえるのは、憲法さえ、自国民の内側から醸成されてできたものではないという指摘でした。
 わたしは自主憲法とかをきくたびに“いったい自主憲法”といえるほど、日本国民は成熟した国民なのか”と問いたくなります。
 米国に媚びることでしか生き残れないと自覚しているのは、なにをあれ、安部さんを筆頭とした自民党政権ではなかったのでしょうか。“自主憲法”といいながら、完全に米国追従の憲法をつくるのが自公政権のほんとうのねらいだと、わたしのような庶民の目線でもわかります。
 それでも仮に共産党などのグループに憲法草案作成を委ねることによる“国家主義”がどのようなリスクがあるのか未知数なのです。
 日本人のなかにある“官僚支配”への暗黙の了解があるでしょう。東大カルトとでもいうべき、東大信仰が跋扈しています。
 いまも恒例のように“なんでわたしが東大に!”とかいう“腐臭色の”キャッチコピーがみられる季節になりましたが、東大つまり、官僚への絶大な信頼によってなりたっているのが現在の日本国の仕組みの根幹です。原発推進派の楽観論を形成していたコアのところには、常に東大卒エリートがいたのです。いいかえれば、福島原発事故は、東大信仰”を建材として、高く積みあげられた「現代のバベルの塔」によってひきおこされた大惨事だったということもできます
 米国支配のやりかたが、日本の官僚組織をつかったものであり、かつて明治政府は、西欧化政策のためにたくさんの“お雇い外国人”を雇用しました。さらに そこにたくさんの宣教師たちがあてられてきたことにより、あくまで派生効果としでではありますが、日本の戦後プロテスタントの性格としての“官僚型統制” “政権への無批判”のルーツも読むことができるでしょう。
 安部さんの場合は、キリスト教においてはカルトに分類される統一協会(統一教会)に所属しているとみられ、あくまで内心ではなく、政治的な思惑が強いとしても、コアの部分ではれっきとした統一協会員であるとみなされ、官僚機構を操作するときは、米国支配のレジームの力を借りているとみなされます。米国さえ、さんざん利益をしぼりとった後の“残り滓”のような安倍政権を後生大事にとっておくはずもなく、捨てられる運命であるのは明白なのでした。
 かくして、統一協会カルトの思想的基盤と、あくまで米国に追従を思考している官僚制度のもと、自分の存続のためには、嘘はおろか殺人でさえ厭わないという“呆れ果てた”政権が生まれたのでした。わたしは、これが普通の日本人に、「正義への渇望」を引き出すとしたら、これもまた100%悪とみなせないと気づいています。結果として、日本人にとって益となる何かが生み出されたとしても、産みの苦しみはしばらく続くからです。ネロによるキリスト教迫害を経た欧米諸国がやがてキリスト教化されるために、かつて通らなければならなかったいくつかのプロセスにとてもよく似ているとだけは指摘しておきたいのです。 

  山本太郎という奇跡
 日本に、山本さんのような政治家が存在することが、そもそも奇跡。籠池さんにさえ、定期的に手紙を書いていたというではありませんか。政治というも のは、もともと腐敗するものなので人を信用することはもとより不可能なのですが、山本さんくらい、現代の日本に必要としている総理としての資質を備えてい る人はいません。ほんとうに奇跡のような人です。