Tokyo 3月8日(木)
         
  過去に目を閉ざす者は

  「過去に 目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる。過去の罪を心に刻まなければ和解の道はない」
  「我々は若かろうが年をとっていようが、みな過去を受け入れなければならない」
  ドイツ、元大統領であったワイツゼッカーの言葉です。

 自分の栄光に繋がると判断したものは、メダリストであれなんであれ何でも利用する。
 ところが、都合が悪くなると、隠蔽工作のための時間を稼ぐためのいいわけを思いつくばかりでなく、どうやって暗殺するかしか脳裏に浮かんでこない。ひと つひとつが、わかりやすのです。やることなすことが全部明るみに出てしまっているので、政府が“これが正しい”といったことをひっくり返してみたところが 真実であり、調査はすべて“隠蔽工作のための時間稼ぎ”にしか見えません。
 過去の時代には、情報源がテレビやラジオ、それに新聞の大本営だったので、情報操作しやすかったのですが、インターネットの時代に同じことを妄想してい たのであれば、とんでもない時代錯誤に陥っていることになります。
 “安部さんも騙された”という言い方まで流布しているようですが、これもひとつの“マスコミ効果”でしかありません。言い換えれば、それだけマスコミの 言うことを鵜呑みにしている人々が多数派に属しているという意味です。
 原発事故の遠因をつくりだし、不正選挙のシステムを自分のためだけに利用。数兆円の金を諸外国にばらまき、そればかりでなく、年金を流用した結果の損益 を、高齢者を含めた全国民に増税として請求するような輩です。
 おそらく明らかになっている犯罪的な所作のリストをあげるだけで、10や20では収まらないでしょう。それに隠れている犯罪があり、たとえばヒットマン を つかった暗殺までリストに入れると、これまでいったい何人の人が、安部さんの意志で殺されたてきたことか。
 ただし悪が悪を引きずったまま権力の座に居座った例は、聖書のなかにも、そして聖書以降の歴史のなかにも存在しません。
 そのような歴史認識をもつ限り、日本人として希望を見失うことは決してありません。語学も数学も大切な学びであるのは言うを待ちませんが、歴史を学ぶと は、数年とかの短い時間軸ではなく、数百年という長い時間軸で思考するための訓練であり、それはこれからを担う子どもたちに学んでいただいきたい最も大切 なテーマの一つであろうと考えます。

 優秀な官僚
 優秀であればあるだけ、国家の指示や決めた方針にたいして忠実であることが求められるのは古今東西、共通のルールのようなものでしょう。特待栄転した佐 川さんへの批判が高まる中、霞ヶ関に漂う空気をあえて読むとしたら、忠実であることと、それこそ良心の呵責との間のせめぎ合いでしょう。「ひたすら今より 良いポストを目指して」命をかけてきた人々であるからこそ、公権力の腐敗が生み出す犠牲を一番近いところで受けている人々だといえます。
 
 「キリスト者の戦争責任」
 信仰の継承の他に、それも自分に科せられたライフワークのテーマのひとつであると認識して歴史を学ぶことにしています。
 戦争犯罪を犯していることが明確な時代に置かれたキリスト者も、戦争に荷担した責任は重いと言わざるを得ないのであり、それにもかかわらず、過去の歴史 的責任に光をあてることそのものを“自虐”とかいって軽蔑する世論が広がり、いわゆる歴史修正主義が日本人の未来が構築されるための基礎が壊されているの だとされなければなりません。
 キリスト者とされる日本人の中にさえ、きわめて限定的であるとはいえ、キリスト者の戦争責任を明確にすることに後ろ向きになっている言動がみられるので す。
 過去の日本人の戦争責任において、キリスト者の果たした役割について学ぶと同時に、勝者である米国によておかされた原爆投下などの戦争犯罪や、米国にお ける日本人捕虜への差別的取り扱い、それにBC級戦犯と呼ばれて処罰された人々のなかに、朝鮮半島出身の、いわゆる朝鮮民族出身の日本人がいることを忘れ てはならないと思わされます。
  いったい、“札幌農学校”とは何であったのか。クラークの素朴な聖書信仰の影響とうらはらに存在した、植民政策学という、大日本帝国憲法のもとにあ り、当時の国策であった八紘一宇のもとに天皇の支配するアジア圏を実現するための、有力な思想的基盤をつくっていたのも、おもに無教会系のキリスト者で あったということも蓋をして見えないようにできない事実なのでした。まだ全部は未調査であるとはいえ、新渡戸稲造氏や矢内原忠雄氏がおかれていた当時の立 ち位置は、安倍政権のもとで、“優秀な官僚”として行動しなければならないジレンマにおかれているのと似ていたのではないかと想像します。