Tokyo 2月24日(土)
         
青少年の自殺
 
厚生労働省の正式発表でさえ、10代のもっとも多い死因が「自殺」である とされています。
 病死や事故死ではなく、自から命を絶つ子どもたちの数があまりに多いという悲惨に直面して、どうしようもなくたた手をこまねいているという状態でしょ う。
 直接であれ間接であれ、自殺の原因が「学校にある」とされているのだとしたら、どうして“学校以外の道”であるホームエジュケーションを選択できないの でしょう。自殺に追い込まれるほどのいじめを受けている親たちにとって、教師を含めた学校関係者に救いの道を求めるのは無駄です。学校教育がもともと、 “いじめ構造”をシステムとすることを教育としているのであり、おそらくこれまでなされてきた学校改革を廻るさまざまな議論があったとして、そのほとんど が形式だけのものとされ、結局新しい提案があったとしても、学校制度の補強材として利用されてきたとしても、競争原理とそれが生み出した受験制度は、戦前 から微動にも変更されてこなかったからです。
 自殺の温床は、学校そのものの体質に起因しています。それをなんとかしない限り、学校からいじめは根絶されません。

ビリーグラハム氏召天
 グラハムさんと“さん”で呼ぶのが躊躇われるほど、個人的に全く存知げていないのはあたりまえです。
 残念ながら、個人的な知り合いでなかったので当然ですが、メディアでグラハム氏につながる華麗なる人脈について述べられるたび、「世俗の羨望」とキリストの栄光をごっちゃにしているような強い違和感を覚えるのです。
 グラハム氏の説教原稿を下書きするライターがいて、いえ、私も少年の頃、中学のころ、教会でグラハム氏の文章とされる説教文章をみて、それはそれなりに、聖書の学びに足を踏み入れていた切っ掛けだったのですが、個人への異常と感じられるほどの賛美をむける、その賛美のしかたがすでにすごく気がかりではありました。
 今回の死去のニュースのなかには、驚くことに「グラハムさんは使徒パウロ以来の大伝道者だ」とかいうコメントまでみえて、いやはや・・・この人はすごい人だという印象を示唆したことばでした。キリスト教ではなく、「グラハム教」がその実態です。パウロ級のすごい人・・・。それとて問題ある言い方です。世の成功者と同じレベルでしかパウロを理解できていないという意味なのですから。いえ、たしかに“グラハムさんの話をきいた”という人々の数だけだと、きっとパウロの数を上回っていたのでしょうけれど、パウロの時代にも、洗礼を与えた人の数の多さで伝道者の質をおしはかるような人々が初代教会にもあらわれはじめていて、第一コリント書などによるとパウロもずいぶん嫌な思いをしたのではないかと推測され、そのように聖書を理解して間違っていないと思います。いやはや、「AKB48の前田・・・はキリストを超えた」みたいな畏れをしならない・・・というかただの無知からくる悪趣味が、よもやキリスト教界内部の声として聴かれようとは思いもよりませんでした。パウロがこれを聴いてどう思うだろう・・・。いえ、いったいほんらいの主役であるべきイエス様がどう思われるだろうと訝しくおもいました。
 いわゆる「福音主義」と呼ばれる振興キリスト教のなかにおいては、ひとしお個人崇拝の傾向が強くみられ、グラハムさんが語る言葉が特別なように扱われることが多く、いえ、米国由来のプロテスタントにおいて顕著な傾向です。恥ずかしげもなく個人を賛美し、世俗のきらびやかな成功と、キリストの祝福を混同して恥じることもないのです。キリストは人々を引き寄せるための大切な役割であり、キリストに脚光があびられようとすると、間髪入れず舞台の最前列にしゃしゃり出て、“キリストよ、よくやった。あなたの役目はここまで。あとはわたしがやる”みたいな。
 グラハムさんの名があまりに偉大とされているため、日の当たらない陰の部分が多くできてしまっていて、グラハムさんが偉大な伝道者という宣伝の看板が日陰となり、魂が養われず、ついに凍えそうになっている小さなものたちが多かったに違いありません。いえ、わたしもその一人でしたので。 わたしには、人の名が高く崇められるようなところはどこでも、そこに本当の意味でキリストの名が崇められているとは思われないのです。
 ボブジョーズ大学が、グラハム氏と活動に一線を引いたのは、いわゆる動員人数の拡大のために、リベラルな聖書理解をする教派の人々との協調路線をいきはじめたことに起因しています。グラハムさんの意図は、排除するより、行動範囲を広げたほうが、多くの人を巻き込めると読んだことによるのでしょう。グラハムさんの動きにたいして「戸を閉ざした」(マラキ書1章)リフォームド系の教会は多いのです。いえ、真面目に聖書を信じている伝統的プロテスタントのとりわけ改革主義に立脚するのであれば、まずは「グラハムさんの動きを牽制する」ところから、教会形成を示されるに違いないと存じます。