Tokyo 2月20日(火)
         
   この日、俳人の金子兜太さんが亡くなられたと報じられました。
 金子さんの俳句には、いつも心が動かされ、五七五の短い言葉だけでこれほど人を動かせるものかというひとつの能力のすばらしさが推察されます。
 誰であれ、日本語をつかうことを職業としている人であれば、新聞記者であれ、作家であれ、教会で説教を語るものであれ、金子さんの俳句をじっくり味わう 経験はきっと役に立つに違いありません。
 俳句が日本語表現として、無駄な言葉をそぎ落とし、そして池に落とされた石が、円形の輪を幾重にも生み出される現象にも比較されます。 抽象的な“ひと つの世界”を生み出せという、それはひとつの芸術としての極みなのだと考えます。
 おそらく俳句など嫌いでも、たとえば官僚のつくる定型文満載の書式に基づく文相なら書けるでしょう。けれども、言葉としての深みや味わいをもとめるな ら、俳句に馴染み、みずから俳句を創作してみるところから生まれる訓練は、かなりのものがあると理解します。これが英語をはじめ、外国語では不可能である というところが大切なポイントです。英語が「白でも黒でもない灰色な表現」を嫌う言語構造であるためなおさら。
 海外で詩人は尊敬されるが、日本では「わたしは詩人である」というと軽蔑されるのと言われていたのを思いおこします。
 詩人と俳人は違うというりくつなのですが、いえいえどうして、俳句は詩であり、芸術の一つであり、日本語に特化した文芸作品なのだと思われます。いずれ にせよ、日本でも俳人や歌人は尊敬されます。
 加藤楸邨さんと金子兜太さん。お二人とも、世にすばらしい言葉の文化を残されました。