Tokyo 1月20日(土) 
         
 食べ物のは なしでいくと、コンビニに売られている食品で、合成の味と無関係のものを探すのはむしろ難しいでしょう。人の味覚が合成の味に慣れてしまうと、本来の味が 物足りなくなってくるのです。まったく「慣れ」というのは恐ろしい者で、偽物と本物の区別がつかないばかりでなく、本物の良さがわからなくなり、“模造 品”や“バッタもの”のほうが質が良いように感じるようになります。安く大量に製品をつくっているメーカーからすると、そのような“誤差”があるからこそ 利益が生み出されるのでしょう。現代社会には、そのような“偽物”が反乱して、現代人の感覚がかなりの部分、麻痺しているという自覚が必要なのだと思われ ます。わたしは進化論のことをこのところ話題にしていますが、コマーシャリズムとはすなわち、つくられた製品をいかによく見せて購買意欲につなげるかにね らいが絞られているのであり、フェイクであっても楽しければよい、偽物でもようはおいしかったらいい。ついには、良いか悪いかなど問題ではなく、自分に とっての心地よさだけを基準にして生きるようになります。
 宝石や衣服など、頑固に「ほんもの」を維持した商売をしていると、もうけそものは地味なものになるのは間違いありませんが、コマーシャリズムと反比例し ているように、
社会貢献して いるのではないかと錯覚します。「たくさんの人から良いと思われている」という基準は、むかしから良い品をつくりつづけている老舗の作品についてはむしろ 社会貢献は錯覚ではないと思われます。
 本物と偽物 の区別がつかないということは、判断する力が失われるという意味で、現代人のなかにどのような劣化が起きているのかという社会学のテーマとも重なります。 大量生産によって、素材の調達がまにあわなくなり、しいては品質の劣化を招くというのは近代産業の、どの分野にも共通する課題なのでしょう。

 テレビはほとんどがコマーシャリズムの“フェイク”でつくられていて、本物の情報が希に紛れ込んでいる程度。そのためテレビに依存した生活をしている と、確実に“馬鹿”になります。判断力が失われるからです。政治的に情報操作するために、テレビがつかわれ、そして映画も、戦時下において国威綱要をね らって開発されたマインドコントロールの手段です。ですから“俳優”とか“タレント”の意見に左右される世論というのは、すごく劣化しているのだとわたし は思います。
 ハリウッド映画も、米国の価値観を広めるための世界戦略の一環なのです。たとえ映画が事実に基づいた編集がされているとしても、人が喜んでみなければ意 味がないのであり、「スカッとしたい」「楽しい時間を過ごしたい」「はらはらドキドキの体験をしたい」に集約されるのであり、文化の質という観点からいう と、伝統芸能などの精神遺産の質の高さとは比べようもありません。
 
 “歴代の日本の首相としていちばんたくさん諸外国旅行をした”とか“テレビの有名人を自由に招くことができる”とか“自分の指示でどんな国家権力も思い のままにできる”・・・とかなんとか・・・人として尊敬できることは何ひとつもありません。教育上、このような人について、子どもたちにマネをさせてもな らないし、まして生きる目標とさせてもなりません。

  2018年度より、地方自治体が企業へ送る従業員の個人住民税額通知書に、マイナンバーの記載は必要ないとの通知。マイナンバーを記載しな いと、給料を出さないという中小企業があったのは事実であり、労働者や管理者にもよけいな作業と労務を強いた失策中の失策だったといえます。マイナンバー は失敗を宣言して終わりとしたほうがいい。そういうのが普通の労働者の本音ではないでしょうか。個人情報を国が管理するといいだした顛末がこれです。ブ ラック企業などに漏洩した大量の個人情報はいったいどうなるのでしょう。