Tokyo 1月8日(月) 
         
 いつも人から褒められないと安心できないひとがいます。
 「人を褒める」ことは、教育の分野でとても大切なのですが、褒められることを追い求めるのが習慣になってしまうと、人から褒められることが、ひとつの職人としての作業であれひとつの作品であれ、目標になってしまうのです。「人から褒められるような仕事をしろ」と。けれども、本当に質がいい仕事がわかっているのであれば「人から褒められようが、悪評を受けようが、自分が納得できるような仕事をしろ」となると思います。
 それがただ自己満足を推奨するのではなく、他人の目に留まり、価値を評価されるようにならなければ、たとえば“商品化”されたり、利益に繋がらないということも確かであり、たくさんの人から注目される製品というのが、“良い品”という、それも現代社会に仕組まれたマスコミが創造した消費文化における新しい儀式なのでしょう。
 「芸能界」という職業もまた、いろいろな“発言”がマスコミにとりあげられ、批判や賛同を呼んでいるようで、政権批判を続けているような人もいたり、反対に、知ってか知らでか安部さんの旗振り役を買って出ているひともいます。
 安部さんに褒めてもらうことが、現代日本において、どれだけの負のリスクとなるかを理解できていない墓穴をほった人々です。安部さんに煙たがられ、安部さんに嫌われるくらいでなければ、「まともな普通の人」であるとはいえません。いえ、日本人を愛し、心底日本人のためになることを考えていたら、安部さんに褒められたり仲間だと思われてはダメでしょう。
 人に注目されることを生業とするというのもありでしょう。しかし、人から注目されることに命をかけるのだとしたら、なんであれ質の劣化を招くのだと知っておかなければなりません。人から注目されるかどうかではなく、たとえばひとつのいいものをつくるために努力しているような場合には、つまり、人から注目されるか人が無視するかなどは“どうでもいい”事となるのでしょう。
 人から褒められたり、注目されるのに喜びを感じているような文化は、良質であるとはいえないのではないでしょうか。ほんとうの職人であれば、自分が納得するまで努力を止めないでしょう。芸能の世界では、それこそ人から拍手をもらい褒めてもらうために努力するのでしょうけれど、文化そのものの質を上げるためには芸能文化そのものは“全く役に立ちません。”ですから、芸能人などが何を言っているかなどに注目しているうちは文化そのものが未成熟で、もしくははなはだ劣化しているとみなされなければなりません。
 人から褒められたり注目されたりすることを生業としている芸能界にありながら、真正面から正義を語ることができるのであれば、その勇気に共感できると思われます。「帰るための橋を燃やす」こと。しかしそれが結果として人気を生み出すという、山本さんのような例もありますから。
 もともと、自分を褒めてくれたり高い値をつけてくれる人にすり寄るのが芸能界の真骨頂であるのだとしたら、ひたすら人気に媚び、ウケをねらうことで人気を追い求めるような人々を“文化人”と呼ぶことがどれだけ愚かであることか。