Tokyo 1月7日(日) 
         
 会社での世 間話から
 喫煙習慣ですか?それはいまや健康のために吸わないほうがいいというレベルではなく、受動喫煙や胎児への悪影響を考えると、店で買えなくなるほうがいいでしょうね。こないだ「食事と煙草をとって、どちらか止めなさいと言われたら食事」と答えた人がいて驚きました。病的なニコチン依存症でしょう。パチンコもそうらしいですね。パチンコで家族を壊してしまった人を何人かみていますが、依存症であるとう自覚がなくなるのも怖いことですね。喫煙習慣があるというだけで、いまの世相として会社などの管理職には不適格であるという烙印をおされてしまうようですが、ただ喫煙だけで人物評価もいかがなものかと思う反面、「依存の症状がもたらす隣人へのマイナスの影響」を考えられなくなっているとしたら、自制力が足りない=管理職には不適格とみなされてもしかたないでしょうね。それはアルコール依存と同じです。節度の範囲を超えるような飲み方が日常になっている人は、どの職業にたいしても就労意欲が失われているのではないかと疑われるでしょう。美食もそうです。安部さんもどうやらそうらしいですが、なにかと“美食”ばかりを続けていると、美食をしないと体の均衡(ホメオスタシス)がとれなくなり、美食依存症となるでしょう。糖尿病などで命を縮める結果になります。質素な食事など“特権階級にふさわしくない”とか自分に言い聞かせるようになりはじめると、そうとう命を縮めていることになります。質素な食生活こそ命を守るための基本ですからね。
 “女遊び”ですか?それは人格が完全に破壊される道と思います。ただ寂しさを解決するための手っ取り早い方法と安易にその道に踏み込んでしまうのでしょうけれど、気がつかないうちに人格破壊がすすんでしまうでしょう。快楽を追い求めることにより正義感が失われ、やがて嘘とほんとうの区別がつかなくなるでしょう。そして現実と妄想の区別さえつかなくなり、生と死の区別さえなくなります。創造主がもともと人に与えた生殖のしくみに反したことをやっていてろくなことはありません。その場しのぎの選択は、結局自分ばかりでなく、周囲に破壊的な影響を与えることになります。
 
 障害は“かみさまからの贈りもの”
 聖書の文脈を無視すると、「障害は神からの賜物=ギフト」というと全くひどい戯言(たわごと)を言っているように聞こえるでしょうね。
 パウロも何かの体のハンディを負っていたようで、ローマの軟禁状態におかれていたときも、ルカが主治医として働いていたようですが、パウロにとって障害は歓迎できないどころか、3度もそれを取り除いてくださいと願い、そして三度とも、「私の恵みはあなたに十分である。わたしの力はあなたの弱さのうちにあらわれる」という応えが返ってってきました。人にとって歓迎することができない障害すら、主からみるとき、パウロにとって必要な“枷”だったのでした。障害がない健康体も主の恵みです。けれど何らかの障害を体に受けているとき、それさえ賜物であるとか恵みとかいうのは難しいはずですが、主の器としてほんとうの意味で活動できるのはそれからなのでした。弱さを感じたり、自分の力なさを嘆くばかりだったり、八方塞がりで途方に暮れるたりするとき、そこからほんとうの意味の主の業がはじまるのと悟れたなら幸いです。